第4回海外学習助成事業の報告集 2年 HRT さん
参加者から提出された報告レポートです。個人名や写真の表現・配置等にオリジナルとは異なる点はご容赦ください。皆さんのレポートは下の略名をクリックして頂くとご覧いただけます。
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イタリア3都市(Milano, Firenze, Roma)を巡る6泊8日の旅
はじめに
僕が瑞陵に入学した理由の一つに今回の海外研修事業の魅力は大きかったのですが、なかなか応募に踏み切れずに躊躇っていました。しかし、今回で最後のチャンスだと思い、ダメもとで応募したところ見事に行かせていただけることになりました。行くことが決まった時には本当に信じられなくて、絶対に今後のために一つでも多くのことを学び感じていこうと思いました。
初めてづくしの海外研修では新たな発見の連続で、久しぶりに乗る飛行機内からもう既に始まっていました。
事前学習
僕が事前に学習したことはイタリアの世界に誇る歴史文化の象徴であったルネサンスについてでした。
ルネサンスとは正確には「ル・ネサンス」とは、ラテン語で「再生」を意味する言葉で、日本では「文芸復興」とよく言われています。当時の封建社会と神中心の世界観の束縛から、人間性の自由・解放を求め、ヒューマニズムと個性を尊重するという近代社会の原理であり、つまりは「ギリシャ・ローマの古典文化を再生すること」です。
ルネサンス初期はフィレンツェを中心に国王や一部の知識人(大家・貴族etc)の間に起こったことで、民衆的な広がりはなかったが、ルネサンス盛期になると、ルネサンスの中心はローマへと移り、三大画家のダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロや、政治思想家のマキャヴェリの登場。そしてメディチ家の権力・財力が土台となって多くの芸術・美術品を生むことになりました。
しかし、実はルネサンスは日本で言う戦国時代でもあったためイタリア・ルネサンスに大きく貢献したメディチ家でさえ衰退と復活が繰り返されました。
研修
ミラノ
旅客機を出るともうそこは夜のミラノでした。
旅の始まりは夜の食事からとなりました。いきなりボールにいっぱいのサラダが僕をミラノへ招待してくれました。たっぷりのオリーブオイルとバルサミコ酢と塩というシンプルな味付けが気に入りました。メインは白身魚でした。レモンベースのソースがパンチをきかせていておいしく食べることができました。
翌朝になり、いよいよ本格的に研修が始まりました。楽しみで仕方がなかったのか時差ボケもほとんど感じずにスッキリとした朝を迎えられました。朝はビュッフェスタイルで、チーズ、ハム、パンや野菜などが並び、賑やかな朝食でした。味は申し分ないほどにおいしく、すでにイタリアの虜になっていました。中でも印象深いのは、オレンジの生搾りジュースでした。オレンジを搾るためだけに作られた機械の脇には大きなバスケットにオレンジがこれでもかと山積みになっていました。イタリアのオレンジは赤色で濃厚な味でした。
そんな充実した朝食を迎えて、幸先の良いスタートをきった一つ目の見学地はスフォルツァ城でした。四方を塔で囲まれている城はミラノのルネサンス期最大の宮殿で、レオナルド・ダ・ヴィンチも建築に加わったと言われています。1466年に完成しました。中の美術・博物館は見学できませんでした。この城はビスコンティ家やスフォルツァ家が所有していた住宅兼要塞で、軍事用と住宅用がはっきりとわかるつくりでした。地下には秘密の抜け道などがあったそうで、城壁に描かれた紋章は自動車メーカーのアルファロメオがモチーフに使ったとのことです。昔の人は馬で家の中に入るために階段を工夫するなどしたと知ったときには当時の持ち主はさぞ豊かな生活を何不自由なく送っていたのだろうと思いを馳せました。
昼食はリゾットとミラノカツレツを食べました。リゾットのコメは芯がありかためでしたが味は最高で、お米からも海外にいることを実感させられました。メインのカツレツは想像していたものと全く違い、薄いものでしたが食べやすかったです。
二つ目の見学地は、荘厳なるゴシック建築の傑作”ドゥオーモ”でした。レストランや高級ブティックが並ぶヴィットーリオ・エマヌエーレ二世のガレリア(アーケード)を抜けると、イタリアの統一及びイタリア王国成立に貢献したジュゼッペガリヴァルディの騎馬像を右手に見つつ左手に現れたのは、化粧直しされ、堂々たる存在感を示すミラノのドゥオーモでした。町の中心に構えるドゥオーモは町のシンボルであるとともに、ミラノの町のへそにもあたります。ゴシック建築の大傑作であるドゥオーモは、135本もの尖塔が天に突き刺すようにのびていました。14世紀後半に着工され、正面の完成を見たのは19世紀初めのナポレオンでした。堂々とした正面を飾るのは、20世紀に造られた5枚のブロンズ製の扉。左から、キリスト教の信仰の自由を認めた「ミラノ勅令」、ミラノの守護聖人「聖アンブロージョの生涯」、特に豪華な中央扉は「聖母マリアの聖涯」つづいて「ミラノの中世の歴史」、「ドゥオーモの歴史」となっています。内部は非常に広く、天井高く仰ぎ見る美しいステンドグラスは見る者のため息を誘っていました。今回は残念ながら屋上見学はできませんでした。
フィレンツェ
トスカーナ地方の高原を眺めつつ次の見学地であるフィレンツェへは、バスで向かいました。途中のサービスエリアでは日本より少し簡素なものでしたが、かっては変わらないようでした。
この日の最後はミケランジェロ広場でフィレンツェの街を一望しました。広場でエレキギターをかっこよく弾くおじさんがロマンチックな雰囲気をつくっていました。フィレンツェの街並みはとにかく赤茶の屋根がつづいていてその中でもドゥオーモがよく目立っていました。
その日の夜はホテルでイタリア初のパスタ、チキンときのこの煮込み、そしてジェラートでした。期待とは裏腹にスパゲッティは日本と変わらなかったのですが、前菜で普段日本で食べる量のパスタだったのでお腹がはちきれそうでした。別腹のジェラートはティラミス風で口がとろけるようでした。
3日目もイタリアンビュッフェでお腹を満たし、清々しい朝を迎えました。僕達が過ごしたどのホテルも朝食はビュッフェスタイルでした。
この日はアルノ川に沿って下流に歩みを進め、初めに見学したのはウフィツィ美術館でした。この美術館にはメディチ家の大小様々な美術品が並び、日本では絶対にありえない程の近い距離で作品を鑑賞しました。いくつかの内、印象が特に残っているのは、「荘厳の聖母」と「受胎告知」です。
絵画の祖ジョットの描いた「荘厳の聖母」は当時としては初の試みであった色の遠近法、胸のふくらみの遠近法が用いられ、お金持ちが描かせた証拠であった金箔がふんだんに使われていました。
万能人として広く知られているレオナルドダヴィンチの「受胎告知」、まるで鳥の羽をそのまま用いたような天使の翼のリアリティ、解剖学に基づく人間の質感などは科学的にも芸術的にも価値が高く、見る者を惹きつける力を感じるとともに何かが身体を突き抜けるような感覚になるほど感動しました。
ちなみにuffici(ウフィツィ)とはofficeの語源とも言われ、かつてのフィレンツェ公国の行政局をそのまま美術館にしたとは思えないほどに建物も芸術的でした。
シニョーリア広場に出ると、まるでタイムスリップをしたかのように中世の風景を見ている感覚でした。
午前の最後を締めくくったのはかつてのフィレンツェ共和国の宗教の中心、白、ピンク、グリーンの大理石の幾何学模様で飾られた美しい大聖堂、“フィレンツェのドゥオーモ“でした。1296年から172年間の歳月をかけて建設され、「できる限り荘厳に、かつ豪華である」ことを旨としてブルネレスキが設計しました。463段の階段でクーポラに上りフィレンツェの街並みを一望しました。「当時の技術はここまで優れていたのか!」と思わずにはいられませんでした。
昼はパニーニ、夜は1kgのステーキを4人で食べました。ステーキは焼き具合が日本のお店では食べられないほどレアでした。
そのおいしさにいくらでも食べられると思ったほどです。
午後はアカデミア美術館へ。ここはなんといってもミケランジェロ作の「ダヴィデ像」が圧巻の一言でした。ダヴィデ像は想像以上に大きくて圧倒的な存在感が感じられ、ミケランジェロの自信のほどがうかがえたような気がしました。他にも昔使われていたチェンバロやバイオリンなどが展示されていて宝石のようなつややかさでした。
旅の折り返しの日にさしかかった四日目は、サンマルコ美術館、サンタマリアデルカルミネ教会、ヴェッキオ橋に行きました。
サンマルコ美術館は元々ドメニコ派の修道院だった建物で、そのまま美術館として使われていました。修道士の食堂には「最後の晩餐」が描かれていて、教会として使われていた当時は当番の一人が聖書を音読するなどして、静かに食事が行われていたそうです。
昼はフィレ肉のタルタルと以前から友人に絶対に食べてきたほうがいいと言われていた猪肉のパスタを食べました。フィレ肉のタルタルは香辛料と肉のハーモニーが素晴らしく、猪肉はくさみがなく、日本人の口にも合う味でした。
ヴェッキオ橋は通りはしましたが僕の目には宝石のお店が並んでいるのが目につくばかりで歴史を感じることはあまりできませんでした。
ローマ
ローマへは高速車両(日本の新幹線にあたるもの)で向かいました。
ローマ見学初日はコロッセオ、サンタンジェロ城、バチカン美術館、サンピエトロ大聖堂でした。
コロッセオは紀元前に建てられた建物とは思えないほど大きくどっしりと構えていました。中も外も大理石の白さで包まれ、そこで大観衆が観戦していたことを想像すると日本がまだ狩猟生活をしているときに既に相当高度な文明ができていたことになります。円形闘技場内のアーチはすべてレンガのみで構成され、驚くほど緻密に作られていました。
バチカン市国は本当に小さな国で、バチカン美術館を見学した後に待ちわびていたサンピエトロ大聖堂に。映画でも何度か舞台になったことも知られる広場では修学旅行できたフランスの学生と写真を撮って交流したことが印象深いです。十二分に広い広場をより大きく見せる工夫が施されていたりとまさにカトリックの総本山と言うに値するのだろうと納得させられました。
夜はオペラ鑑賞でした、個人的には今回の一番の勉強どころはオペラの歌にあったのでとても有意義なものでした。
見学できる最後の一日は、フォロロマーノ、パンテオン、真実の口、スペイン階段、トレヴィの泉に。一日ではもったいないほどの遺跡の数々を見ることができ、幸せな気持ちでいっぱいになりました。
ローマの歴史を感じさせられたフォロロマーノではローマ帝国建国の歴史や紀元前のヨーロッパ文化を肌で感じ、その大きさに魅了させられました。パンテオンは歴史と荘厳さが濃くあらわれていました。柱のない中のつくりは天井てっぺんから降り注ぐ太陽の光が神秘的な輝きを醸していました。
ローマでは短い時間に見るにはもったいないほどの多くの遺跡を見てきました。まさに京都を100個を凝縮したというような言葉が浮かぶほどの場所でした。
まとめ 感想
今回の海外研修ではさまざまな方面で本当にたくさんのことを学びました。食では日本はおいしさだけでなく、栄養の面からもバランスを考えて摂ることが容易であると感じました。人については、イタリアのほうが人当たりがいいように感じました。一番影響を受けた文化芸術については、ルネサンスだけでなくゴシック、バロック、マニエリスムなど、時代の変遷とともに絵画なども進化していったこと。イタリアでは建物にも如実に現れているように古いものと新しいものがしっかりと調和のとれた文化が根付いていることが一番印象に残っています。
今回の研修で財団を運営していただいている熊沢さん、運営者の方々、それから旅行会社の方々、引率の先生に感謝します。有り難うございました。今後はこの経験を活かし国内海外を問わず、視野を広げていき、いろいろなものに対する関心を高めていきたいと思います。そして自分だけにとどまらず、周りにも良い影響を与えられるように努める次第です。