日程別レポート 8月1日(3日目)その1
このページは参加生徒の分担による「一周年記念海外学習の記録」を元にしています。必ずしも日程毎にはなっていませんが、生徒達がたどった道筋の記録です。ご覧いただけますと幸いです。各項目のクリックで該当ページに移動します。間違い等は、お許しください。
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ナポリ・ポンペイレポート
私たちは8月1日にナポリにある国立考古学博物館とポンペイの遺跡を見学してきました。ここではポンペイ遺跡について紹介したいと思います。
ポンペイとは、イタリア・ナポリの近郊にあった古代都市です。79年のヴェスヴィオ火山の大噴火による火山灰で埋まったことで知られています。
ポルタマリーナ
ポルタマリーナとは都市への入り口で、人用の入り口と馬車用の入り口があります。現在では陸地になっていますが昔はこのポルタマリーナの目の前に海があり、船から荷物を馬車に乗せ直接ポンペイへと運んでいたようです。さらにそこから中へ進むとしばらくは馬車道が歩道と併設されていました。
ホール
英語ではフォーラムと言い、集会や討論会が開かれていました。広場のようになっていて、今も残っている柱は一度地震で壊れたものを建て直しているためいろいろな柱が混ざっています
大浴場
ポンペイには2000年前の大浴場が今も残っています。大浴場の入り口は壊れにくいアーチ状になっていて脱衣場や浴室、サウナや水浴び場が比較的きれいな状態で残っていました。
脱衣場の壁には美しいフレスコ画が描かれていて冬場の寒さをしのぐために温風が出てくる穴が壁の上についていました。浴室の壁や天井もフレスコ画や彫刻などで覆われていてとてもきれいでした。そしてサウナ室の壁は2重構造になっておりその隙間に下から水蒸気を流して床暖房のように部屋全体を暖めていたそうです。サウナ内には水浴び用の大きな大理石の盆があり、その枠には色とりどりの大理石が文字の形に埋め込まれていました。
民家・店
ポンペイの民家の玄関には歓迎の言葉やきれいな模様がモザイク画で作られていました。裕福な家には部屋一つ分ほどのスペースにモザイク画が飾ってあったりと、思っていたよりも現在の生活に近くて驚きました。
店は、魚屋、肉屋の跡地やパン屋などもありました。中でも印象的なのはカウンターのような売り場があった事とかまどの形は2000年前と変わっていないということです。ポンペイ内には食料を入れていたと思われる壺や、パンを焼くかまどがいくつもありました。
火山灰
ポンペイの町に残っているものは2000年前のものとは思えないほどきれいでした。なぜかというと大量の火山灰が降ったからです。上にも書いているようにヴェスヴィオ火山の噴火でポンペイの町は3日で火山灰や火砕流に覆われました。建物や道路はもちろん、人も埋まってしまい灰がカバーの役目をしたため人の遺体や食べ物もそのままの形で残っているそうです。
まとめ
ポンペイの人々はもっと原始的な生活をしているかと思っていましたが、道路や建物のつくりなどは今とそんなに違いはないように感じました。2000年も昔の街とは思えなくてとても驚きました。と同時に日本での生活とも比較してみたいと感じました。
これをきっかけに日本の遺跡のことも知っていきたいと思います。
続きは、日程別 8月1日分(その2)をご覧ください。