第3回海外学習のレポート 2年 S.H さんのレポート
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スミソニアン博物館群とメトロポリタン美術館見学8日間の旅
僕がこの海外研修に参加したいと思ったのは、高校生の視点で海外の文化や歴史を学び、日本ではできない経験を積みたいと思ったからだ。自分にとって初めての海外に期待と不安を抱きながら日本を出発。多少の時差ぼけはあったが、楽しく有意義に過ごせた。あたたかく送り出して下さった財団の皆様、学校の先生方に感謝します。
ワシントンでは、スミソニアン博物館群、リンカーン記念館、アーリントン墓地、国立美術館、アメリカ歴史博物館などへ行った。
一番心に残っているのは、スミソニアン博物館群の航空宇宙博物館である。エノラゲイやコンコルド、アポロ11号などの展示がされているが、僕が特に気になっていたのが、ライト兄弟のライトフライヤー号やその設計図、試行錯誤を重ねた研究データだ。ライト兄弟の決して裕福とは言えない境遇の中でも、飛行機を飛ばしたいという信念を持ってすれば成し遂げることができるということが、いろいろな意味で今の自分の励みとなった。
ワシントンの街は思ったより落ち着いていて、天気も良かったせいか明るい雰囲気だった。そこで初めてアメリカの地下鉄を体験した。駅は開放的で電車は広々として日本の地下鉄の窮屈な感じがなく新鮮だった。だが加速時や停止時は何かに掴まっていないと転びそうになり、日本の繊細な運転が誇らしいと思った。
アメリカ歴史博物館では、蒸気機関車や人種差別が背景となるカウンター席を見学した。そのカウンター席は、アメリカの差別社会が背景となって起きたグリーンズ・ボロ・コーヒー・パーティ事件の現場だ。黒人学生が白人専用のカウンター席に座ったことから公民権運動が始まった。この博物館は主にファーストレディーのドレスなどの輝かしい部分が多く展示されているが、このような知っておくべきアメリカ発展の陰の部分も見落としてはいけない。
4日目からは、ついにニューヨーク観光だ。ニューヨークの街は、ワシントンと比べると雑多な感じがしたが、エネルギーを感じさせる街だった。
マンハッタンの建物は、ヨーロッパの国々が無計画に建てたため、まとまりのない街になっているが、逆にそれがニューヨークの個性になっていると思った。自由の女神像はアメリカ合衆国の独立100周年を記念して、独立運動を支援したフランス人の募金によって贈呈され、1886年に完成したものだ。遠くから見ると、島に比べ像が大きいので、まるで女神が海に浮かんでいるように見えた。
とてもショックを受けたのは、このグラウンドゼロミュージアムだ。自分が4歳のころに起きた9.11アメリカ同時多発テロでのターゲットとなった世界貿易センターの跡地だ。テロ発生の時は、まだ幼くただ飛行機がビルに突っ込んだだけと感じていた。しかし自分が成長するにつれて事の重大さを徐々に知るようになっていった。ミュージアムで当時の映像等を見て、そしてその場所に立ちここで多くの人が亡くなったのかと思うと自然に手を合わせていた。
人でごった返していた。24時間眠らない街とはまさにこのことだと思った。僕達もミュージカルを鑑賞していたので時間は22時を過ぎていた。煌びやかな街の喧騒に日本では感じることのない興奮を覚えた。
今まで見た夜景の中で一番のスケールの大きさだった。中央に見えるのはエンパイアステートビル。
アメリカの食事はどれも大きく、味も濃かったり甘すぎたりしていた。一番印象に残っているものは、このSHAKE SHACKのハンバーガーだ。炭火で焼いたハンバーグがアメリカ人の元気の源だと感じた。
最後にこの旅で複雑に感じたことがある。それは太平洋戦争中に日本を敗戦に導くことになったB29やエノラゲイを間近で見ている自分自身だ。戦後70年を経て互い歩み寄った結果だろうがあまりにもたくさんの犠牲の上に今自分がこのアメリカの地に居るということが少し不思議に感じたのだ。またグラウンドゼロでは今も世界各地で起きているテロのことを思わずにはいられなかった。
そんな中、無事旅を終えることができました。それは添乗員の有馬さん、松浦先生のおかげです。ありがとうございました。このような研修を通して自分は一回りも二回りも大きく成長できたと思います。この経験を活かして社会の役に立ちたいです。