US2015報告集_7

第3回海外学習のレポート 2年 T.S さんのレポート

 参加者から提出された報告レポートです。個人名や写真の表現・配置等にオリジナルとは異なる点はご容赦ください。皆さんのレポートは下の略名をクリックして頂くとご覧いただけます。
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第三回海外助成事業を終えて

 一月下旬に選考結果が届いてから少しの間は、自分が自分でないような心地で過ごしました。選考結果を信じられず受け止められていなかったのかもしれません。それでも、事前学習会を重ねて、行動計画が具体的になっていくにつれて実感が湧いてきたように思います。
 現地では見るもの聞くもののほとんどが新鮮であり、中身の濃い充実した一週間でたくさんのことを学びました。実際に体験することがどれほど大事であることかがわかりました。このような機会に恵まれて本当に良かったと思っています。この研修を通して得たものを自分のものとし、またたくさんの人たちと共有できるようにしていきます。瑞陵高校助成基金の皆様をはじめ、この事業に携わったすべての方々には大変お世話になりました。本当にありがとうございました。
 

<初日>

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 長時間のフライトを経てワシントン.D.C.に着き、ウドバーハジーセンターへ向かいました。たくさんの飛行機が並べられていたり吊り下げられている光景は、写真で見たときよりも圧倒されました。ここで一番驚いたことは、エノラ・ゲイやゼロ戦闘機に多くの人が関心を持っていたことです。そして、エノラ・ゲイの説明をしている人がおり、その周りでたくさんの人が熱心に聞いていました。戦争におけるアメリカの勝利ではなくその機体と出来事に焦点が当てられていました。対象的に、ドイツの戦闘機のコーナーに人が全くいなかったことが気になりました。
  その後、硫黄島のモニュメントを見に行きました。二日目に行くアーリントン墓地の近くにありました。これは、戦闘の勝利記念ではなく、戦闘の犠牲者を追悼するためのものだそうです。硫黄島での攻防はアメリカの予想をはるかに上回る激戦且つ長期戦となり、アメリカ海兵隊は史上最多の犠牲者を出したためだということです。日本では取り上げられることが少ないですが、アメリカの人達はとても大切にしていることが分かりました。それとともに、日本では取り上げられることが少ないので残念だと思いました。

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<2日目>

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 午前中は市内を見て回りました。この日もそうですが、三日間ともワシントン.D.C.としては珍しい晴天でした。空気がとても澄んでおり、都市とは思えないような雰囲気でもありました。

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 リンカーン聖堂では、キング牧師の「I have a dream」の演説が行われたところに立ってみました。敷地が広いので、そこを人が埋め尽くしたらと考えてはみましたが想像がつきませんでした。このリンカーン大聖堂の近くのポトマック川を挟んだ所に、リー将軍の邸宅であったアーリントンハウスがあり、そこにアーリントン墓地があります。真っ白な墓石がどこから見ても整然と並んでいる光景には重々しくも迫力があり圧倒され、無名戦士の衛兵が正確な動作を丁寧に繰り返している様子には恭しさも感じました。改めて、アメリカは戦死者に対する畏敬の念を大切にしていることを実感しました。

  午後には国会議事堂を見ました。現在は建物のドーム部分は改修工事中であり、全体をはっきりと見ることができませんでしたが、工事は65年に一度のことなので見られて良かったです。ドーム上には「statue of freedom」と呼ばれている銅像があります。これには、自由の女神 (statue of liberty) とは異なり、自由の獲得よりも自由の大切さに重きを置いているような印象を受けました。

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 その後スミソニアン博物館群のひとつである国立航空宇宙博物館に行きました。1日目に訪れた別館のウドバーハジーセンターとは違って、飛行機そのものではなく時代背景やアメリカの努力の過程に焦点を当てた展示がされていました。どのような目的でどのような工夫を凝らした機体がつくられたのかが明確でわかりやすかったです。中でも、アポロ11号やライト兄弟の飛行機は、開発の過程が細かく説明されていて、どれほど大変であったかが伝わってきました。そしてこの博物館で驚いたのが、展示してある飛行機に広告がつけられていたことです。スミソニアン博物館群ではすべて入場料が無料のため、企業にスポンサーとして出資してもらっているそうです。

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 その後、アメリカで初めて地下鉄に乗ってユニオン駅に向かいました。地下鉄のホームはとても広くて高さもあって開放的な空間でした。同じ線路を違う路線が通ることがあったり経由駅が表示されたりしないので、事前の確認が大切だとわかりました。ユニオン駅のフードコードは夕方であったのにほとんどの店が閉まっていました。この日は日曜日だったけれど、アメリカの人々にとって休日は「集客日」ではなく「家でゆっくりと過ごす日」だそうです。日本人とは価値観が逆転しているので、とても新鮮でした。

<3日目>

 午前中は国立自然史博物館に向かいました。この博物館には、スミソニアン博物館群の収蔵品のうち90パーセントがあるそうです。そのすべてが展示されているわけではありませんが、やはり展示品の数は多く感じました。特に印象的だったのが宝石コーナーです。ダイヤモンドやルビーなどの高価なものが多くあり、写真ではとりきれないほどに照明を反射して光っていて、目がくらみそうでした。その中でも注目は「呪いの石」ホープダイヤモンドです。このダイヤモンドの所有者は次々と不幸に見舞われたといわれています。ブルーダイヤモンドだけれど黒々と光っていて「呪いの石」と呼ばれる意味がわかったような気がしました。

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 午後のナショナルギャラリーでは主に宗教画について学びました。宗教画は元々、識字率の低かった庶民に教えを広めるために描かれたものだそうです。だから、芸術という視点はなく、神を人間らしく描かなかったり基調とする色が決まられていたりしていました。しかし、ルネサンスや宗教改革などを経て芸術になっていったのです。その過程を意識して比べながら見ていくことができたので面白かったです。

<4日目>

 ワシントン.D.C.からニューヨークへ移動しました。航路では一時間弱で済みましたが陸路だと五時間もかかるそうです。だから、アメリカの人達は飛行機で移動するということが当たり前だと聞いて、納得しました。そして、日本は小さい国であることを改めて思いました。
 空港からマンハッタン島に向かいました。マンハッタン島へのアクセスは橋や海中トンネル、フェリー、ロープーウェーなど、60以上ありますが、バスで北から橋を使って入りました。北部のハーレムという黒人街を抜けるとセントラルパークが見え、ミッドタウンに入ると、平日の昼間だというのに道路は渋滞していました。昼食はスーパーマーケットで買いました。アメリカでは量り売りが主流であり箱に詰めるのは楽しかったけれど、レジカウンターに行くまで重さが分からないので緊張しました。

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 そして、昼食は自由の女神のクルーズ船で食べました。海上からウォール街の方を見ると、海岸まで窮屈そうに高層ビルが建ち並んでいました。この光景をみて、ニューヨークに来たと実感しました。津波がなく漁場でもないからこそのその光景は、日本では見ることがないのでとても新鮮でした。そして見えてきた自由の女神像は、ワシントンの自由の像を見たときと同じように、やはりこちらの像は自由獲得の象徴というべきものだと思いました。
 ニューヨークで一番行きたかったところがグラウンドゼロでした。テロが起こった当時のことは全く覚えていないけれど、覚えていないからこそ知りたいと思っていました。跡地には、崩壊したビルよりも高い530mの大きなビルが建っていて、周りには4本の中層ビルが建築中でした。「テロには屈しない」というアメリカの強い意志の表れだそうです。アメリカらしい堂々とした姿勢であり素晴らしいと思います。ミュージアムには、当日の朝刊、テレビ番組、がれき、犠牲者の所持品、写真などが展示されており、地方選挙で少し騒ぎながらも普通に出勤して仕事を始めていた、いつもと同じ朝だったことがうかがえました。また、犠牲者の家族への電話の録音も流れていて、それが最後だったのだと思うととても悲しくなりました。来場者は国籍も年齢も様々でしたが、やりきれなさが表情に出ている人がたくさんいました。このミュージアムで世界中の人が同じ思いになれるのであれば、もっとたくさんの人に訪れてほしいと思いました。
 夕食は日本料理屋でしたが、アメリカの日本料理は日本料理ではありません。たいてい、アジア系の人がタイ米を使って料理していました。でも日本料理と思わずに食べると、おいしいものばかりでした。夕食のお店では、肉や野菜を客の目の前でパフォーマンスしながら焼いてくれました。こちらが煽るとさらに高度な技が出てきてとても楽しかったです。でも、パフォーマンスを見ていたら焼きたてのものが冷めてしまったので少し残念でした。

<5日目>

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 ニューヨークに来て初めて地下鉄に乗りました。駅自体はワシントンよりも日本に近い作りでした。その後乗り換えた市バスは日本とあまり変わりませんでした。ただ、地下鉄も市バスもシートはクッションがなく、車内はあまりきれいとは言えませんでした。そうして向かったのは、国連本部です。この日は天気が良い平日という条件が整い、正面に世界中の国旗が掲揚されていました。国連本部はすべてが加盟国の協力体制と寄付のもとで成り立っています。独自の警察や郵便局を持っていたり、各委員会が行われる会議場も一つ一つが加盟国の寄贈によるものであったりしています。驚いたのが、国連の予算の18パーセントを日本が負担しているということです。これはアメリカに次いで2位だそうです。そこまで、日本が貢献しているとは全く思いませんでした。
 そこから少し移動して、メトロポリタン美術館に向かいました。雰囲気はナショナルギャラリーと似ていましたが収蔵品はこちらの方が圧倒的に多いので、同じ作者のいろいろな絵を比べて作者一人一人に焦点をあてて学ぶことができました。一人一人が特に異なる点は光の捉え方だそうです。それが、画材の質や色彩、筆遣いなどで表現されていました。それぞれの個性を探すのが面白かったです。
 その夜はタイムズスクエアに行きました。たくさんの電光掲示板とたくさんの人たちに囲まれてとても疲れました。でも、そのブロードウェイで見たライオンキングは、ミュージカルの本場ならではの迫力があって素晴らしかったです。
 

<6日目>

 MoMAに行きました。現代美術が集まっているところで、理解し難い作品ばかりだったけれど、ユニークで面白かったです。芸術は幅広いのだと実感しました。ショップも、これまでの博物館や美術館とは一味違ってアイディア商品ばかりでした。その後に行った五番街は、思っていたほど高級感はなかったので何軒か見て回りました。値段を見るとさすがに買うことはできなかったけれど、いろいろなものを見ることができて良かったです。
 その夜はロックフェラーセンターから夜景を一望することができました。その日は一日中天気が悪かったけれど、夜景を見る間だけは雨があがってくれたのでとても嬉しかったです。たくさんの高いビルが並んできれいに光っていて、いかにもニューヨークらしい夜景でした。ニューヨークを満喫できたように思えました。

<最終日>

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 朝、少し早起きをして、まずはダコタハウスに向かいました。玄関前には警備員が二人いたので、珍しいと思いカメラを向けると快くポーズをとってくれました。他の観光客に対しても丁寧に対応しており、サービス精神の旺盛な警備員でした。マンション自体は飾り気のないものですが住人は少し高級感が漂っていました。道路を挟んだ向かい側にはセントラルパークのストロベリーフィールズがありました。この場所を眺めて、どのようにして「Imagine」ができたのか不思議に思いました。セントラルパークはとても広かったです。犬を連れて散歩をしている人たちがたくさんいましたが、リードをつけていない人ばかりでした。犬の方は自由に走り回っているようで常に飼い主のそばにいました。きっと強い信頼関係があるのだと思いました。アメリカでは犬はペットではなく家族の一員だそうです。その認識の違いが信頼関係にも影響するのであれば、日本も見習わなくてはいけないなと思いました。
 こうして帰国の途に着きましたが、まだ名残惜しかったです。一日一日のスケジュールはとても濃かったので一日が過ぎるのは長く感じたのに、一週間を振り返ってみると短く感じました。それでも、毎日新しい発見があってたくさんのことを学べるというのはとても貴重な体験でした。そしてこのような研修に参加したことで、自分の中の世界が一回りも二回りも大きくなったような気がしました。考えの幅も少しは広くなったように感じます。
 本当に、ありがとうございました。