US2017報告集_日程3

第5回海外学習のレポート 3月20日分 1年KAJさんのレポート

参加者から提出された報告レポートです。個人名や写真の表現・配置等にオリジナルとは異なる点はご容赦ください。皆さんのレポートは下の日付をクリックして頂くとご覧いただけます。
3月18日分 3月19日分 3月20日分 3月20日分続き 3月21日分
3月21日分続き 3月22日分 3月22日分続き 3月23日分 3月23日分 個人別レポート集   Homeへ 

スミソニアン博物館群とメトロポリタン美術館見学8日間の旅

3月20日(月) 3日目 ワシントン最終日(前半)

スミソニアン協会本部

前日に各自でフロントに電話をかけて設定してもらったウェイクアップコールで起床し、7時30分にホテルのレストランでバイキングによる朝食を食べました。前日とバイキングのメニューが少し変わっていて、エッグベネディクトやいちごが新しく追加されていました。カラフルなコーンフレークと牛乳も豊富な種類がありました。
8時30分にホテルを出発し、途中草間弥生ミュージアムの前などを通りながら、ホテルから徒歩でスミソニアンキャッスル(スミソニアン協会本部)に行きました。当日は一部工事中でした。ここは、ニューヨークやバージニア等にも点在する博物館をまとめた、スミソニアン博物館群を運営している本部であり、どの施設よりも早く最初に建設された建物です。「スミソニアン」という名前は、イギリスを代表する科学者であるジェームズスミソンが、協会創立を率先して行ったため、名づけられました。
敷地内には緑豊かな広い庭園が広がり、入館する前に皆で庭園内を散策しました。寒い時期に訪れたため、葉や花はあまり芽吹いていませんでしたが、暖かい季節になると花壇などでは一面に花が咲き誇るようです。中に入ると、いくつかの部屋に様々な展示物がありました。動物の剥製や模型、ロケットの縮小模型、エジソンの電球などです。そして地下聖堂には、スミソンのお墓がありました。スミソンはイギリスで生まれ育ち、アメリカには一度も訪れていませんが、彼の遺体は死後このお墓まで運ばれてきました。アメリカの様々な分野の工芸品を見て、文化や歴史を学び、お墓(棺桶)で祈りを捧げて、スミソンの功績に思いをはせました。

ワシントンモニュメント

スミソニアンキャッスルを出た後、ナショナルモールを歩いてワシントンモニュメントを見に行きます。
ナショナルモールはワシントン中心部の象徴であり、そこにはアメリカの主要機関やスミソニアン博物館群の多くの博物館が建っています。2日目に訪れたリンカーン記念館から、同じく2日目に訪れた国会議事堂の間を繋ぐ、緑豊かな明るい雰囲気の国立公園で、観光客の他にもランニングや散歩を楽しむ人々も多く見受けられました。スミソニアンキャッスルからワシントンモニュメントまでを歩く間には、国立アメリカ歴史博物館や、のちに紹介する国立アメリカ自然史博物館などがありました。
ワシントンモニュメントに着くと、塔の周りはちょっとした広場のようになっていて、少しですが、観光客の人々もいました。訪れた日は、地上から塔の展望台までを結ぶエレベーターが故障していて使えない状態だったらしいので、観光客が少ない原因はそこにあるのであろうと思います。ワシントンでは、ワシントンモニュメントより高い建物は建設してはいけないという法律があるので、高さ169mのモニュメントは市内のどこからでもすぐに見えます。白い石で造られた塔なのですが、南北戦争等が原因で、建設を一時中断されていた時期がありました。そのため、遠くから見ると分からないのですが、塔の下三分の一ほどのところで、建築の再開前と後の色の違いをはっきりと見ることができました。また、南北戦争前に建設されていた部分の方が白いことが分かりました。東京のスカイツリーなどに比べれば到底敵わないような低さですが、やはり近くで見るとかなり高く感じ、迫力がありました。塔の周りには国旗がたくさん立てられていて、アメリカの首都であり、世界的都市であるワシントンD.C.を代表する建造物であると改めて思いました。

アフリカゾウの剥製

モニュメントを間近で見た後は、一度通り過ぎた国立アメリカ自然博物館に訪れました。開館時間である10時より前に到着することができましたが、映画「ナイトミュージアム」の舞台になったことなどで大変有名なので、着いた時にはすでに外に行列ができていました。中に入ると中央広場のような空間が吹き抜けになって広がっていました。これは、どの展示の部屋に入っても、出口まで出ると必ず最後には、この空間にたどり着く仕様になっていて、来館者が迷子にならないように工夫されています。1910年にオープンした自然史博物館には、1億2000万点以上の展示物が収納されているようで、来館するときによって展示されている物の種類が異なるそうです。
また、この広場にはアフリカゾウの剥製があります。サイズは世界最大で、牙以外は当時から本物のままで、牙が軽いプラスチックで作られている理由は、牙が重すぎて剥製のゾウがバランスをとれなくなってしまうからだそうです。実際に間近で見ると、耳や胴体のしわはまるでゾウが今にも歩き出しそうな雰囲気を出し、細かく浮き出た血管は血がゾウの体の中に流れていた様子を想像させました。そして目は、剥製であるのに輝きを持ち、ゾウの生命力を彷彿とさせました。
その後は海洋生物のコーナーで実物大の北極クジラの模型や、本物のダイオウイカの干物を観察し、人類の歴史を学ぶコーナーでは、様々なホモサピエンスの種類の模型やその解説などを見ました。実際に発見された大昔のサルの本物の骨も見ることができ、日本ではめったに見られないので、私たちの祖先がどのような体のつくりで、どのように生活し発達していったのかをより詳しく、また分かりやすく知ることができました。骨盤の形から性別を、骨密度から年齢を割り出す、などの現在の研究についても理解を深められてよかったです。

岩石のコーナー

紫外線を当てると赤く光る45.52カラットの大きなダイヤモンドもありました。このダイヤモンドには興味深いエピソードがあり、身に着けた人は必ずひどく不幸になってしまうというものです。そのため世界各地で色々な人の手に渡り、行方が不明になっていました。このダイヤモンドをようやく見つけ出して買い取ったハリーウィンストンも、4回の交通事故に遭い会社が倒産して酷い死に方をしたそうです。不吉に感じるダイヤモンドですが、Hope Diamondという愛称があるのです。人々の欲望や生死をたくさん見てきたダイヤモンドは、深く何か特別な光り方をしているように感じました。
岩石のコーナーにはなんと、前述のジェームズスミソンが発見した岩石が展示されていました。スミソンにちなんでスミソナイトと名付けられ、自然史博物館には淡い水色と灰色がかった黄色の二種類の石がありました。石の輝きを見て、改めてスミソンという人物がいかに尊敬すべき人であるかということが分かりました。
訪れた時は恐竜の展示コーナーが閉まっていたのですが、ティラノサウルスとトリケラトプスの全身の化石が見られました。骨だけなのに屈強な体であったと分かり、今私たちがいる同じ地球の太古の時代には、人類がまるで想像もできなかったであろうこのような巨大な生き物が地上を支配していたと考えると、地球や生物の神秘に感動してしまいました。

ミイラの展示

恐竜の隣の部屋にはミイラがたくさん展示されていました。私は以前日本で臨時に開かれたミイラ展でミイラを少し見たことがありましたが、これほどたくさん一度に見たのは初めてでした。ミイラの展示と共に、ミイラのつくり方も書いてありました。脳と臓器を取り出し、遺体を乾燥させて、臓器はそれぞれ決まった壺に入れ、体を包帯でぐるぐる巻きにして棺桶に入れるそうです。子供のミイラもあったので、身分が高く幸せに暮らしていたが幼くしてなくなってしまったのだろうと思いました。また、人間だけでなく牛のミイラがあったことに一番驚きました。古代の文明には、今の私たちならば理解しがたい文化がたくさんあったのでしょう。しかし、その文化こそが今の文化、私たちの生活をつくっているのだと思いました。
たった半日のことですが、本当にたくさんの思い出と学びを得たと思います。一生忘れられることなく、私たちの心の中で輝き続けることでしょう。(後半に続く)