第3回海外学習のレポート 2年 O.Y さんのレポート
参加者から提出された報告レポートです。個人名や写真の表現・配置等にオリジナルとは異なる点はご容赦ください。皆さんのレポートは下の略名をクリックして頂くとご覧いただけます。
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03/21 1日目
★いよいよ出発
セントレア空港に向かうため、朝早くに家を出ました。
この日のために買った大きなキャリーケースを持って歩いていても、自分がこれからアメリカへ行けるなんて、信じられませんでした。
出発式にて、財団の方や校長先生から激励のお言葉をもらい、いよいよ荷物検査をして出発。国外へ行くのは初めてなので、チェックが厳しく驚きましたが、本当に外国へ出ていくのだなあと思うとわくわくが止まりません。
★アメリカ入国(デトロイト空港到着)
行きの飛行機は12時間半のフライトです。そんなに長い間乗っていたのに、デトロイトの空港についてみると時差の関係で明るいので、まるでタイムスリップしたような変な気持になりました。
私たちはデトロイトを経由してのワシントン行きなので、飛行機が来る間デトロイト空港内を見学することができました。
アメリカらしい、カラフルでとてもかわいいキャンディの店や、海外ブランドの店が並ぶ中、私はお寿司の店を見つけました。
何かが変です。
入口が鳥居のようなものにデザインされていました。外国から見た日本のイメージをうかがい知ることができました。また、私たちの中での諸外国のイメージも、このように多少の誇張やずれがあるのではないかと思いました。
★ワシントン到着
アメリカ国内線に乗り、ついにワシントンへ到着。
貸し切りバスに乗り、私たちはウドバー・ハジーセンター(航空宇宙博物館別館)へと向かいます。
ワシントンへ来て、私が一番初めに感じたのは、「土地が広い」ということです。
日本での空港は敷地が比較的広いですが、ワシントンはバスに乗っている間に見える風景、特に郊外ですが、本当に広大だと思いました。道路も幅が広いように感じました。
国土面積の関係で、日本にはどうしても手に入れられないものです。隙間なくぎゅうぎゅうに建物が建てられた名古屋と比較すると、のびのびとした感じがしました。(後日ニューヨークでは、また違ったアメリカの姿を思い知りましたが…)
★ウドバー・ハジー・センター
館内に入ると、大きなドーム形の建物の天井から何から、飛行機だらけでした。
まずはじめに目に入ったのは、巨大な真っ黒い飛行機です。「ロッキードSR-71ブラックバード」という冷戦期の航空機で、敵を偵察するために使用されました。真っ黒なのは、夜中に空を飛ぶ際目立たないようにするため。当時最新の望遠カメラを搭載したため、こんなに大きくなってしまったそうです。
宇宙系の展示では、「スペース・シャトル・ディスカバリー」が目を引きました。35回もの宇宙飛行を経験した、有人宇宙飛行機です。繰り返し宇宙へ行くことのできるものを作って、コストを下げることを目的として作られたそうです。
また、私たち日本人が必ず見ておかなければならないのが、「ボーイングB-29」、通称「エノラ・ゲイ」。広島、長崎に原爆を投下した飛行機です。
全身銀色の、私が想像していたよりもずっと大きな飛行機でした。目の前にある傷ひとつないこの飛行機が、数え切れない日本人の命を奪ったと思うと、そんな飛行機がほかの航空機と同じように、ごく普通に展示されていることに、私個人としてはいやな気持ちがしました。こんなにあっさりとした展示ではなく、もっと多くの人に、あの日起きたことを鮮烈に伝えてほしいと思いました。
そのほかにも、数え切れない数のユニークな形をした人工衛星や、メロンの網模様のようなカモフラージュ柄のドイツ製飛行機など、様々なジャンルの各国の航空機が展示されていました。
★硫黄島記念碑
硫黄島の戦いでは数多くの日本人が犠牲になりましたが、アメリカも、実は日本以上に甚大な被害を出しました。当時アメリカでは、硫黄島は1週間で落ちると予測されていましたが、日本人兵士の捨て身の攻防により1ヶ月もの死闘が続いたそうです。
記念碑の兵士像にはそれぞれモデルとなった実在の人物がおり、元となった、像とほぼ変わらないアングルの写真がパネルで展示されていました。像だけを見ると大げさな構図のように見えましたが、写真の中の彼らが必死に旗を押し立てる様子を見て、誇張ではなく実際に起こったことなのだと理解し、改めて自分が平和の中に生きていて、戦争について無知であることを実感しました。
★レストランでの夕食
ひとまず今日の見学地はすべて巡り、待ちに待った夕食です。
レストランにて、初めてのアメリカでの食事です。出発前、親や友達から「アメリカはご飯がまずいから気をつけて」とさんざん言われたので、正直どんな料理が出てくるか不安でしたが、スープや前菜から始まるコース料理で、とてもおいしく食べられました。ただ、スープに入っている牛肉がものすごい量だったり、大きなクラブケーキが2つもお皿にのっていたりと、とてもボリューミーで、たくさん大食いの私でも食べきれませんでした。食後のブルーベリーチーズケーキは別腹ですが・・・
★長い一日の終わり
夕食を終え宿泊するホテルに到着。長い一日が終わりました。形容ではなく、時差があるため実際に13時間長い一日だったのです。
この日はなんだか夢の中にいるようなふわふわした感じで、まだアメリカに来ているという実感がわいてきませんでした。
ホテルの部屋に入ろうとすると、なんと2枚のカードキーが両方とも壊れていて、しばらく閉め出され本当に困りました。日本ではなかなかあり得ないとではないでしょうか。今にして思えば、このような体験もしておいてよかったと思います。
03/22 2日目
★ワシントンについて
この日から、いよいよ本格的に見学が始まりました。貸し切りバスを使って、まずはリンカーン記念堂へ向かう道々、ガイドさんがワシントン州の生い立ちについてお話ししてくれました。
ワシントン州の正式名称は「ワシントン・ディストリクト・オブ・コロンビア(コロンビア特別区)」といって、アメリカ大陸を発見したコロンビアの名前が由来となったそうです。
★リンカーン記念堂
16代大統領アブラハム・リンカーンを記念して作られたもので、真っ白な大理石でできたギリシャ神殿のような建物の中に、巨大なリンカーンの座像があります。私は見ていて、奈良の東大寺大仏殿を思い起こしました。
建物の左右の壁には2つのリンカーンの演説内容が刻まれていて、あの有名な「人民の、人民による、人民のための政治」という言葉も見つけることができました。またキング牧師が民衆に向け演説したとされる位置には、”I have a dream”の文字が記されていました。
その位置に立ってみると、一直線にリンカーン記念塔が見え、前に広がる公園は広々として、確かに演説するには人々からも見えやすく大変よい場所に思えました。この広い広場が民衆で埋め尽くされたというのだから、当時のキング牧師の人気と人々の差別への関心がおもんばかられます。
記念堂には太い柱が36本使われていますが、この36という数字は、リンカーンが暗殺された当時の州の数なのだそうです。
★アーリントン国立記念墓地
戦争に行った・行かないに関わらず、アメリカ軍人なら誰でも無料でこの墓地に眠ることができる、広大な敷地の墓地です。当人と妻、子供の合計3人まで同じ墓石の下に入ることができるそうです。真っ白な墓石が見渡す限り整然と並んでいる様子は、まるで軍隊のようで、亡くなった軍人の方たちが今も軍務を果たし続けているように思えました。
大きなサイズの墓石もありましたが、これは地位などで区別しているわけではなく、親族がお金を払って立派なものにしているようです。
アメリカでは、親しい人の墓参りをしたときには墓石の上にセント硬貨を置く風習があり、自分とその人との関係によって1,5,10,25セントを区別します。
墓地は、選び抜かれ、特別に訓練された兵士が24時間交代制で監視しています。交替式の際にはたくさんの観光客が集まっていました。
この墓地にはリンカーン大統領の墓もありました。元々は違う場所に埋葬されていましたが、大統領夫人がこの墓地に移したそうです。
植えられている木は様々な種があり、これは、何か災害などが起こったときにすべての木が枯れてしまわないようにするためなんだとか。
★ホワイトハウス
アメリカ合衆国大統領の官邸です。初代大統領ジョージ・ワシントン以外の歴代大統領が住み続け、ここで世界の行政が動かされているといっても過言ではありません。手前の噴水と建物の間にはヘリポートがあります。部屋はたくさんあって、なんと核シェルターも設置されています。常時スナイパーたちが警戒していますが、物々しい雰囲気を観光客に与えないよう見えないところで警備しているそうです。大統領夫人ミシェル・オバマの家庭菜園があるということでしたが、見つけることができませんでした。
実際に柵の向こう側にオバマファミリーが住んでいるというのが、不思議な感じでした。テレビで見るホワイトハウスを目の前にして、
★昼食(イースタンマーケット)
この日は、ウエスタンマーケットで昼食をとりました。
屋内と屋外に市場があり、屋内では主に肉や魚などの生鮮食品、屋外では日本でいう屋台のような出店やアクセサリー、などが売られていました。
肉にしても魚にしても、とにかく一切れが大きくびっくりしました。日本の家庭なら、一切れで一家族分まかなえそうなぐらいです。野菜や果物は、新鮮でおいしそうでした。
アメリカに来て感じたのは、果物がおいしいことです。日本のものよりも甘みが強めです。また、イチゴなど日本では高めの果物も、量が豊富なためか比較的安く売られていました。
★国会議事堂
てっぺんのドームが工事中でしたが、真っ白なお城のような国会議事堂を見ることができました。ドームの頂上にはインディアンの姿をした「自由の女神」の像があります。これは有名なニューヨークの自由の女神とは全く別のもので、それぞれの”自由”を英訳すると”freedom”と”liberty”、違う単語なのです。
大統領就任式はこの議事堂前で行われ、そこから大通りをまっすぐホワイトハウスまでパレードするそうです。
国会議事堂と上院・下院それぞれの議院会館は、議員専用地下鉄により地下でつながっています。国会議事堂の向かいには議会図書館があり、本好きで有名なトーマス・ジェファソン大統領のコレクションもここに寄付されています。
★航空宇宙博物館本館
昨日は別館のウドバー・ハジー・センターを見学しましたが、今日は本館です。規模がさらに大きくなっていて、とても見きれない広さでした。入ってすぐにあったのは、3人乗りのアポロ11号司令船「コロンビア」です。ガラス越しに中の様子を見ることができたのですが、息が詰まりそうなほど狭かったです。大気圏突入の時に焼け焦げたのであろう跡が残っていて、機体ごと丸焦げにならずに飛行士が無事に帰ってこれたことが奇跡なのではないかと思いました。
アポロの月面着陸船も展示されていました。ものすごくいびつな形ですが、これが1番軽くて無駄のない設計なのだそうです。
アポロ計画は、当時アメリカとソ連の宇宙競争が激しい中進められていましたが、アメリカの財政が厳しくなり、アポロ17号でミッションを終了してしまいました。
月の石が展示されていて、実際に触ることができました。大勢の人が触るからなのかつるつるで、これが月の石?という感じでした・・・
また、唯一きれいな状態で残っているゼロ戦を見ることができました。最近、映画「永遠のゼロ」や「風立ちぬ」など、ゼロ戦が活躍する物語が話題になり、ゼロ戦について興味をもっていたので、本物を間近で見ることができてよかったです。しかし、残存する機体が少ないということは、多くのパイロットの命が奪われたということでもあり、改めて戦争を軽く考えてはいけないと感じました。真珠湾攻撃についても、パネルで説明されていました。
そのほか、ハッブル宇宙望遠鏡、ライト兄弟についての展示、プラネタリウム、シアターなどがありました。
★ワシントンの地下鉄
この日、初めてアメリカの地下鉄を経験しました。
まず、メトロカードというチャージ式のカードを買います。
ホーム内は日本よりも天井が高いです。改札口の作りがいいかげんで、ホームの雰囲気もあまりよくありませんでした。日本の地下鉄に乗っていると、とても清潔で地下にいることを忘れてしまうぐらいですが、アメリカはまさに「穴の中」という感じでした。
電車内は、つり革の代わりに手すりがあり、いすはクッションではなくベンチのようにかちかちでした。急発進・急停車が当たり前で、アナウンスもかなりいい加減。地下鉄だけは有無を言わさず日本の方が優れていると感じました。
★ユニオン駅
この日、ペンタゴンのショッピングモールで夕食をとるつもりでペンタゴンに向かいましたが、日曜だったので店の閉まるのがとても早く、ユニオン駅に変更になりました。日本だとショッピングモールのフードコートは10時頃まで開いているところもあるので、5時頃閉まってしまうのには驚きました。
ユニオン駅は作りがギリシャ風で、彫像がたくさんある大きな駅でした。
夕食は総菜屋さんのようなお店でタコスを買いました。とてもおいしかったです。
思いかえすと、この日が一番疲れた日だったようです。
3/23 3日目
★キャッスル
ホテルで朝食をとり、徒歩でまずキャッスルに向かいました。ここはスミソニアン博物館群の情報センターで、博物館群全体の立体図や、博物館が建設されるまでを追った写真などが展示されていました。
スミソニアン協会を設立したジェームス・スミソンは、優れた科学者でした。彼の名前がついた鉱物「スミソナイト」、彼の功績については詳しく説明されていました。
★ワシントン記念塔
アメリカ建国の父、初代大統領ジョージ・ワシントンをたたえる記念塔です。真っ白な鉛筆のようにとがった塔で、高さは169mあり、ワシントンで一番高い建造物です。中の階段は679段あります。南北戦争が行われた間工事が中断され、再開された際同じ場所から採掘された石を使っているにも関わらず、色味が異なってしまったそうです。確かに、よく見ると下3分の1の方がより白っぽいのがわかります。
21日に見学したリンカーン記念堂からよく見えましたが、ワシントン記念塔側から見ても大通りを一直線に行ったところにあるのがわかりました。
ワシントンは町全体がデザインされているような、計画的な作りになっていると思いました。
★国立自然史博物館
スミソニアン博物館群が所蔵する1億4000万点のうち、なんとおよそ90パーセントに当たる1億2000万点がこの博物館にあります。スミソニアンで最も古い博物館です。
人間の起源、ほ乳類、海洋生物、鉱物・宝石、昆虫などテーマによってそれぞれのホールがあり、全体としてはまさに「地球」についての展示です。
剥製の展示では、ただ剥製にしてあるのではなく、たとえばライオンがまさに獲物を捕らえた瞬間をそのまま博物館に持ってきたような、真の自然に迫った展示で、見ていて全く飽きませんでした。
宝石の展示は本当にすばらしく、見たこともないような大きさのダイヤモンドや、ものすごく豪華なネックレスなど目がちかちかする思いでした。怪盗ルパンが現れても今なら不思議に思わないだろうと思いました。
★ナショナルギャラリー
到着すると、とりあえず美術館内のカフェで昼食をとりました。量り売り形式でした。とてもおなかがすいていたので、大きなカップケーキもおいしく食べられました。
ナショナルギャラリーは、13世紀から現代までの絵画や彫像を中心とした、西洋美術のコレクションで知られています。ものすごい量が所蔵されていて、じっくり見ていてはとても回りきれませんでした。私は絵が本当に好きで、このためにこの海外研修に応募しました。写真でしか見ることのできなかったあの絵やこの絵が、実際に目の前にあるのを見て、深く感動しました。また、実際に見るとサイズやタッチがイメージと異なるものもありました。
たとえばルノワールの絵では、私は写真を見て猫の毛のような柔らかい筆触を想像していましたが、実際に見てみると案外べた塗りで陰影に乏しく、輪郭がぼやけており、思っていたよりもさらに非写実的で意外でした。でも、実際の絵を見て彼が真の印象派だということがよく理解でき、以前よりもさらに好きになりました。
その他、ボッティチェリ、ラファエロ、ルーベンス、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ヤン・ファン・エイク、レンブラント、フェルメール、ゴッホ、ドガ、モリディアーニなど超有名画家たちの大作をたくさん見ることができました。全然見たりなくて、ここで働く人にでもなって毎日眺めたいと思いました。
★国立アメリカ歴史博物館
アメリカの歴史と文化をわかりやすく説明しています。アメリカがイギリスから独立した証となった、マックヘンリーの要塞に掲げられた巨大な星条旗、リンカーンのデスマスク、歴代ファーストレディのファッションなど興味深いものが展示されていました。
★ペンタゴンショッピングモール
日本のショッピングモールのイメージとさほど変わりません。入っている専門店も、h&mやcrailesなど、日本でも展開している店がありました。ただ、「食品売り場」なるものは存在しませんでした。夕食はこのショッピングモール内のフードコートで済ませました。
3/24 4日目
★ニューヨークへ
この日はニューヨークへ向かうため、5時45分にモーニングコールがあり、朝ご飯は空港に着いてから食べました。
アメリカでは、飛行機は日本とは違ってバスのような感覚で気軽に利用するそうです。
ワシントンからニューヨークへは、想像していたよりももっと短時間で着きました。
★ヤンキースタジアム
だいぶ郊外にあるようで、高架下を通ると鉄橋がさびさび、治安の悪そうな雰囲気でした。試合はまだやっていない時期なので、人は全然いませんでしたが、お土産を見ることができました。
★高級スーパーマーケット
ここで昼食となるものを量り売りで買いました。添加物を使ったものが全くないスーパーということで、量り売りのお総菜もみんなおいしそうでした。
★自由の女神クルーズ
自由の女神を海上から見ることができました。
先ほど買った昼食を船内で食べ、甲板に出ると、マンハッタン島全体の様子が見えました。ものすごい高さの高層ビルが寄り合い固まり立っていて、あの島でこれから過ごすんだと思うと、あんな高いビルにかこまれて生活するのはどんな気持ちだろうとわくわくしました。しばらくすると自由の女神が見えてきました。本当に大きかったです。この日は晴れていたので絶好のシャッターチャンスでした。自由の女神はアメリカ独立100周年を記念して、フランスから贈られたました。像の中に入ることもでき、王冠の部分は展望デッキになっています。
★9/11メモリアル、9/11メモリアルビジター・センター
9/11メモリアルは、2001年9月11日に発生した、アメリカ同時多発テロで崩壊したワールド・トレードセンターの跡地の慰霊碑です。亡くなった人たちの名前が連ねてあり、ときどき花が添えられているものもありました。また周辺は新しい高層ビルがどんどん再建されており、テロに屈しないというアメリカ人らしい決意が伝わってくるようでした。
9/11メモリアル・ビジターセンターでは、あの日のテロについてより詳しく説明がされていました。私はその頃まだ4歳ほどで、当時のことは全然覚えていませんでしたが、展示物や映像のあまりのむごさに言葉を失いました。涙しているアメリカ人もいて、外国人の私でも息が詰まるようなのに、自国のことであったらどんなにつらかろうと思いました。
テロに遭ったビルでは、日本人も働いていて、たくさんの方が犠牲になったそうです。
★和食レストランでの夕食
いったんホテルに入り荷物を置きました。ホテルはワシントンよりも狭く、まさに都会のホテルでした。
夕食は和食レストラン「紅花」で食べました。和食とは名ばかりで、料理に日本の要素は何一つなかったと思います。目の前の鉄板で、野菜や肉をパフォーマンスを交えて調理してくれました。肉は赤身でも柔らかく、とてもおいしかったです。でも、デザートのアイスだけは、私は苦手な味でした。昔飲んだ子供用の粉薬のような味がしました。
3/25 5日目
★朝食
この日の朝食はホテル横のカフェでとりました。いくつか朝食券で選べるメニューがあり、私はパンケーキを頼みました。お皿いっぱいの大きなパンケーキが3枚出てきて、とてもおいしかったけれどもちょっと多すぎました・・・
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★国連ガイドツアー
国連本部の中を、ガイドの説明付きで見学できるツアーです。
国連の敷地内や建物の中には様々な国からの贈り物が展示されていて、日本から贈られた、60カ国の銅貨を溶かして作った鐘もありました。
ガイドはもちろん英語なため、聞き取るのに苦労しましたが、比較的ゆっくりと説明してくれたのである程度理解することができ、とても勉強になりました。会議場はいくつかあって、実際に使用中のものもあり、中で会議が行われている様子をテレビ中継で見ることができました。
戦争やホロコーストなど世界の抱える諸問題についても展示がされており、原爆についても説明されていました。長崎で被爆した、溶け、破損しているマリア像が、日本からの贈り物として紹介されているのには驚きました。2度とあのようなことのないようにという、日本の平和への強い思いが込められた贈り物だと思いました。
国連の敷地内は、アメリカではなくひとつの国として扱われるそうです。その証明に、パスポートに入国のスタンプを押してもらうことができました。
★ニューヨークの地下鉄
ワシントンの地下鉄よりも狭く、汚いです。線路内には水がたまり、ゴミがたくさん落ちていました。改札はメトロカードの反応がとても悪く、慣れるまでさんざん手こずりました。
★メトロポリタン美術館
古代遺跡から現代絵画までコレクションの幅が広く、各ジャンルの有名作品を網羅する美術館です。中でも遅筆の画家フェルメールの数少ない作品が4点も収集されているのには驚きました。見たかった作品も何とか見つけることができ、幸せでした。
写真は、ドガの「女と菊」です。写真で見ても花の存在感が見事ですが、実物を見ると手前のほうの花がかなり厚塗りされているのがよくわかりました。また、思っていたよりも絵が鮮やかで、印象がだいぶ異なりました。また、今まで知らなかった画家の絵で、いいなと思う作品もいくつか見つけルことができました。まだまだ見たことのないたくさんの絵があると思うと、とてもうれしいです。
美術館内でキャンバスに油彩で模写をしている人がいました。写真を撮ることも禁止されている日本では絶対許されないことです。アメリカは、芸術を学ぶ人に対して日本よりも寛容だと感じました。
昼食は美術館内のカフェでとりました。
★自然史博物館
映画「ナイト・ミュージアム」の舞台となった博物館です。
ものすごい数の剥製が展示されていました。それぞれが生活していたであろう場所に似せた壁紙やセットが作られていました。映画に出てきたイメージとはちょっと違いましたが、今にも動き出しそうな展示は、確かに夜中に動き真わっとぃそうと思わされました。
★ブロードウェイ
ミュージカルの会場が集まっていて、昼夜賑やかなところです。煌々とした看板が至る所に出ていて、夜でも昼のような明るさです。ニューヨークの人たちは信号を守らないので、車のクラクションの音がずっと鳴り響いていました。よく手入れされた馬に乗った警官2人組を見たときには、さすがにおしゃれすぎて驚きました。歩いている人たちみんながとても楽しそうで、ここにきて、ニューヨークという町が好きになりました。
夕食はブロードウェイのお店で、ハンバーガーを頼みました。バーガー自体は日本の大きさと変わりませんでしたが、セットにすると多そうでした。
★ミュージカル鑑賞
私たちはミュージカル「ライオンキング」を鑑賞しました。日本でミュージカルを見たことが数回あるのですが、本場はやはりひと味違うと思いました。まず、音楽はスピーカーから流れるのではなく、オケピットでの生演奏でした。動物になりきり、衣装やパペットを操りながら、その動きぴったりに台詞がいえるのが、本当にすごいと思いました。歌もとても上手で、特にラフィキ役の独唱は感動しました。
夜遅い時間帯にも関わらず子供もたくさんいました。会場の盛り上がりが日本とは違っていて、とてものりがよく、出演者も演じやすいのではないかと思いました。
3/26 6日目
★チェルシーマーケット
昨日が夜遅かったため、この日は遅めの出発で、まずはチェルシーマーケットに向かいました。食べ物を中心にお店が並んでいて、ニューヨークのお土産になりそうなものがたくさんありました。
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★MoMA(ニューヨーク近代美術館)
近現代アート専門の美術館です。
アメリカで私が一番みたいと思っていた絵、シャガールの「私と村」が所蔵されていました。
想像していたよりもキャンバスが大きく、薄塗りで、まんべんなくぬかりなく、画家がこの絵に込めた様々な思いが伝わってくるような気がして、感動しました。涙が出そうなくらいでした。この絵が見られて、本当によかったです。
キース・ヘリングの展示作品が見つけられなくて、インフォメーションにいた方に聞いたのですが、最初私の発音が悪くてうまく伝わらず困っていたところを、近くを通りかかった人が助けてくれました。結局どこにあるのかはわかりませんでしたが・・・
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★セントパトリック大聖堂
ゴシック様式の教会です。工事中でしたが、中に入ることができました。とても天井が高くきれいなステンドグラスからうっすらと光が差し込んでいて、神聖な場所、という雰囲気がしました。
ヨーロッパにあるものとは比べものにならないほど新しく歴史が浅いですが、このような建造物は日本にはないので、見学することができてよかったです。
★5番街
ルイヴィトンやティファニーなど、高級な店が建ち並ぶアベニューです。
ユニクロがあったので、入ってみると日本とはだいぶ雰囲気が違い、値段も日本の方が安かったです。
「世界一楽しいおもちゃ屋さん」にも行きました。
ここで今まで行ったニューヨークにそれぞれのお土産がそろってしまいそうなぐらい、幅広い品揃えでした。
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★トップ・オブ・ザ・ロック
日が暮れてきた頃、私たちはニューヨークの夜景を見るためトップ・オブ・ザ・ロックに上りました。かっこいい映像付きのエレベーターに乗って、エスカレーターを上ると、そこは本当にすばらしい夜景でした。しばらく名古屋駅の夜景は見ない方がいい、と思ってしまうくらい、美しかったです。まだまだニューヨークにいたいと、このときほど強く思ったときはほかになかったです。
★ニューヨーク最後の夜
この日はもう一度ブロードウェイに行き、夕食をとりました。
本場のニューヨーク・チーズケーキを食べてみました。さっぱりとしていて、とてもおいしかったのですが、日本のものの3倍ぐらいはあるのではと思うほど、一切れが大きかったです。
なんだかずっと夢のような、それぐらい楽しい日々を過ごしていましたが、もうそれも終わりです。アメリカに来ることができた自分の幸運をかみしめながら、あっという間の1週間を思いました。
3/27 7日目
★朝の散歩
この日は何も予定されていませんでしたが、朝少しだけ時間があるということで、ストロベリーフィールド周辺を散歩しました。ジョン・レノンとオノ・ヨーコが住んでいたダコタハウスも間近で見ることができました。ヨーコは今でも、2人で住んでいた思い出の部屋を借りたままにしているそうです。
ホテル近くのカーネギーホールも発見しました。
★帰国
ワシントンからニューヨークへ来たときとは違う、大きな空港へ向かいました。手続きを終え、飛行機に搭乗しました。
機内食は3回出されました。行きよりも長い14時間のフライトなので、映画を見たり寝たりして過ごしました。
3/28 8日目
★日本到着
何事もなく、無事日本へ到着することができました。
時間の感覚がなくなっているらしく、体が重かったです。財団の方や先生、家族が出迎えてくれました。
最後に
このような、貴重な経験の機会を私たちに与えてくださった財団の方々、旅行を計画してくださった近畿日本ツーリストの皆様に、深くお礼を申し上げたいと思います。
この経験を必ず自分の糧として、これからに役立てていきたいです。
本当にありがとうございました。