ロンドン・パリ2024報告集 個人10

第9回海外学習のレポート HJNさんのレポート

参加者から提出された報告レポートです。個人名や写真の表現・配置等にオリジナルとは異なる点はご容赦ください。皆さんのレポートは下の略名をクリックして頂くとご覧いただけます。


旅を終えて

私がこの企画に参加した目的は、自分の持つ知識を実際と突き合わせて確かめたうえで、現地で体感するからこそ得られる発見をそこに加えることで知識や考え方を深めることでした。また、言葉として整理できる範囲を超えて、各所の雰囲気を味わうことや、旅という行為そのものによって得られる情緒を体験することも、目的の一部でした。これは、具体的に何かをしたりどこかへ訪れたりするものではありませんでしたが、旅を終えてしばらくたった今振り返ってみると、間違いなく目的は果たされたと言えると思います。

目的を達成するために、私は旅行中に体感しうるものごとをできる限り多く様々な面から、理屈と感覚の両方をもって体感するよう心掛けました。その結果得られたものは非常に雑多で、ほんの些細なことから今後の人生において重要な意味を持つであろうものまで様々ですが、中でも印象に残っていて文字や写真で伝えられるものをここに載せます。

1.サモトラケのニケとモナ・リザ

ルーブル美術館は、自分の好きな映画のロケ地であることや、ニケや瀕死の奴隷などといった有名な彫刻作品を一度自分で見てみたいという思いもあり、今回の日程の中で最も楽しみにしていた場所でした。当日は館内を歩き倒し存分に収蔵品を見て回ることができましたが、数え切れないほどの作品の中でもひときわ印象に残っているのがサモトラケのニケとモナ・リザです。

サモトラケのニケは古代ギリシャ彫刻の傑作で、私が初めてその存在を知ったときは、これほど見事な作品が二千年余りも前に作られたということに大変驚きました。

ニケは階段の奥の踊り場に配置されていて、女神が船の舳先に降り立つ瞬間を来場者が劇的に感じられるようになっています。近づいては離れ、様々な角度から何度も見て感じたのは、この作品の完成度がとてつもなく高く、まさに今にも動き出しそうだ、ということです。ルーヴルにはニケ以外にも多くの素晴らしい彫像が収蔵されていますが、どこか記号的な姿勢の、あくまで彫像としての精緻さを持ったそれらと比較して、ニケは明らかに傑出していました。想像を上回るニケの完成度を前にして、私は改めてそれが二千年余りも以前に制作されたということに驚き、そして人類が今後これ以上の作品を生み出すことはできないのではないか、と思わず考えました。

現代でも、映像作品やその他さまざまな媒体で翼を生やした人というものは描かれています。しかし、そのどれもがニケに劣る、というよりもニケのもつ神秘性や躍動感といったものをすべての作品が無意識に取り込んでしまっているような気さえするのです。

このような事象は彫像や芸術に限らず、人類の活動の中でも模倣が可能なものすべてで起きているといっても過言ではないと思います。ですから、ニケのように数千年人類が超えられないようなものが存在し得るのなら、人類はいずれ自分たちの能力や感受性の限界に達してそれ以上進歩できなくなるのではないでしょうか。

この疑問自体は私が昔から抱いていたもので⾧らく解決することがありませんでしたが、改めてニケの美しさを目にしながら考えてみると一つの答えを得ることができました。

そもそも、美しさというものは実体のあるものではなく、科学的な側面から言えば、神経系の構造などによって決定される一種の評価系によって生み出されるものであるはずですから、絶対的な美しさというものは存在せず、美しさの本質は時代や地域によって変化する相対的なものであるはずです。

そうであるならば、ある特定の地域や時点における人類の限界もまた、相対的で変化してゆくものですから、常に前進を続けるということもなく、また歩みを停めてしまうということもないというの、が成熟した文化や集団の自然な状態であると考えられます。

そうしてニケを十二分に鑑賞したのちに、私はかの有名なモナ・リザを見に行き、そこでもう一度美しさというものについて考えさせられることになりました。

この写真はモナ・リザを前に撮ったものですが、多くの人が詰めかけ、モナ・リザを写真に撮ろうとしているのがわかります。そして面白いことに、ほぼ全ての人が写真を撮るとすぐに離れていったのです。混雑防止のために係員が人を動かしているということもありましたが、もはや誰もモナ・リザを絵として注目していない状況はそのまま風刺画にできそうなほど皮肉なものでした。

モナ・リザは名画の象徴として私たちの認識に広く浸透し、個人の感性を超えて絶対的に美しいものとされているような印象があります。しかし、ニケとは違い直感に訴えかける美しさのようなものがなく、全体的にくすんだ色合いや背景のうねる川に注目すると、むしろ汚らしくさえ感じられます。黄金比を随所に組み込まれるなど、モナ・リザには多くの技法が凝らされていると言われますが、だからと言って、美しく見えるとされる技法を盛り込んだだけ美しくなるという道理はないはずです。

つまりは、これもまた相対的な美しさ、あるいは価値基準の表れなのだと私は考えました。現代にモナ・リザを心の底から美しく感じる人が実在するか否かに関わらず、社会通念がモナ・リザを美しい名画とする限りモナ・リザは間違いなく美しいのでしょう。

そのあともルーヴルをめぐり私の考えたこと全体をまとめると、美をはじめとする人間の認知は、本質的に実体のない相対的なものであり終着点が存在しないために、その変化や進歩が止まることはなく、また常に今までにないものとなることもないということになります。

2.ロンドンの桜とパリの陽光

今回の旅では、各地の気候やバイオームといったものも興味の対象でした。行く先々で植物や雲の写真を撮り、存分に観察することができましたが、中でも面白かったのはロンドンで見た桜の木とパリの街並みを照らしていた日の光です。

ロンドンの気候は比較的日本に近く、具体的な種類こそ違うものの雰囲気は似通った木々や草花が講演で見られました。そんな中出会ったのがこの桜の木です。友好の証として日本から数多く植樹されている桜の木は住民にも人気らしく、実際ロンドンの街並みや植物に大変調和していました。

桜以外でも、公園に植えられた柳の木や名前も知らないつつましやかな白い花を見ると、日本のわびさびの文化に通じるようなものがあり親近感を覚えました。

一方で、パリではベルサイユ宮殿をはじめとして豪華絢爛な建築物が目立ち、植物も生命力に満ち溢れているように見えました。ロンドンと比べると晴れの日が多かったこともあり、各観光名所の印象には日本のものよりやたら白く眩しく神聖に見える陽光がついて回ります。こういった違いは恐らく、主に島と大陸の違いや緯度の違いなどから来るものだと考えられますが、そうして考えてみると日本と中国の違いに似てもいるのが面白いところです。実際、中国もフランスも道が汚く料理が美味しく、絶大な権力を持った支配者が大規模な建築物を作らせてきた印象があります。

本当に日本と中国の関係がイギリスとフランスのものに対応するかは別としても、特段印象に大きな違いのなかったイギリスとフランスにここまで大きな違いがあるということは驚きでした。

この旅を通して、ここに書いていないことも含め本当に多くの学びを得られました。そしてこれらの学びは間違いなく今後の人生に生かされること思います。例えば実体験の伴った知識というのは、持続性や応用性に優れているでしょうから、地理や歴史、民俗学といったものを学ぶ上で直接的に役立ちますし、現地で英語を使ったりフランス語を多く耳にした経験は、今後留学やビジネスをはじめとした語学を必要とする場面で助けになると思います。

そして何より、こういった経験全てひっくるめて、未知の世界で数日間を過ごしたという経験が、大きく私の人生に生かされると考えています。新しいことを体験する、あるいは知らないことを知り、知らないことの存在を知ることは、より広い視野で物事を考えることを可能にします。特に、一つの対象でもいくつかの面から複合的に感受することで、思考を介するあらゆる物事に応用が利くようになります。

高校三年生になる前の春休みという絶好の時期に得られたこの学びを礎に、今後の人生で更なる学びを追求したいと思います。

最後に、この度援助をしてくださった財団の皆さま、そして両親に感謝を申し上げます。資金や旅行の手続き、準備など、自分だけでは到底このような体験はできていません。ご支援大変ありがとうございました。
また、友人や同級生、ひいては同年代の人に伝えたいことは、新しく学びや気づきを得ること、自分の知らない世界を知ることは非常に実りのあることであり、それ自身で価値があるということ、そして旅はその手段として素晴らしいということを伝えたいです。