第1回海外学習の個人レポート US2013 2年 K.M さん
参加者から提出された報告レポートです。個人名や写真の表現・配置等にオリジナルとは異なる点はご容赦ください。皆さんのレポートは下の略名をクリックして頂くとご覧いただけます。
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海外派遣(アメリカ)レポート
1.はじめに
学校で第1回海外派遣が行われ、とりあえず作文の提出だけで申し込めると聞いたので、応募をすることにしました。1週間も海外に行くということは、高校生のうちにそんなに経験できることではないし、そもそも自分は文学部に進学を希望しているので、アメリカで生の英語に触れるのは、これからの将来にとっても貴重な経験になると考えたました。
実際行ってみるとやはり百聞は一見にしかずという感じで、大いに刺激を受けた1週間でした。
2.本文
(1) 出発
3月20日 出発
10時
中部国際空港集合
12時30分
出発
中部国際空港
← 中部国際空港
(2) デトロイト空港
中部国際空港から約12時間のフライトを経てで、中継地のデトロイトに到着した。デトロイト空港はとても大きな空港で、空港内でモノレールが走っていた。
RIGHT:空港のモノレール乗り場 →
ここで入国審査を受けた後、ワシントンまで乗り継ぎ(トランジット)。約2時間あったため、海外に来てから、初めて自分たちでカフェで飲み物を買って休憩したが、店員さんになかなかわかってもらえなくて、心が折れそうになった。
← 空港で買った飲み物
(3) ワシントンD.C.
ワシントンでは、ヒルトンホテルに宿泊した。
↑ ホテルのロビー ↑ ホテルの部屋
3月21日(木)
〈アーリントン国立墓地〉
第35代大統領 J.F.ケネディや、その弟の墓所がある。
あらゆる宗教による埋葬を許可しており、墓石にはカトリック、ユダヤ教、仏教など故人の信仰を表す宗教のシンボルマークが記されている。ものすごい数の墓地が見渡す限り広がっていた。
アーリントン国立墓 →
この墓地には、J.F.ケネディが、夫人ジャクリーンと共に眠っている。
ジャクリーンは、ケネディが暗殺された後に再婚しているが、ケネディと離婚したわけではないので、ケネディと同じ墓地に入れたそうだ。墓の後ろで燃えているのは、永遠の炎とのことである。
アーリントンハウスは、南北戦争の軍人、ロバート.E.リー将軍がかつて住んでいた家。旗が半分しか上がってないときは、新に誰かが埋葬されることを示しているそうである。
↑ J.F.ケネディとジャクリーンの墓地 ↑ アーリントンハウス
〈リンカーン記念館〉
第16代大統領リンカーンの記念館。記念碑の中心にあるのはリンカーンの座像である。像の高さは5.8メートル。
リンカーンの像の左手は握られており。右手は開かれている。これはアメリカ手話で大統領のイニシャルを表す「A」と「L」を表しているそうだ。また頭部後ろの髪の毛がリー将軍の輪郭となっている。これは全くの偶然らしい。
リンカーン記念館 →
↑ リンカーンの像 ↑ リンカーンの頭部(リー将軍の顔)
またリンカーンを囲む南の壁にはゲティスバーグの演説、北の壁には再選した際の大統領就任演説からの引用が刻まれている。有名な”that government of the people, by the people, for the people”の文字も刻まれていた。
← 大統領就任演説からの引用文
記念塔の前にある池は、本当は記念塔を映す鏡池となるはずだった。しかし、計算が合わず失敗。一説によるとリンカーンの視線の位置からは全部映るといわれているが本当かどうかはリンカーンにしかわからない。
ワシントンにはこの記念塔より高い建物は建ててはいけないことになっている。
記念塔を映す池 →
〈ホワイトハウス〉
大統領とその家族が暮らす公邸であり、会談や会見など公的な行事が行われる場所である。その周りの道路は、テロ以降、厳しい交通規制や警察の警備によって厳重にガードされていた。一般市民は歩いて近づくこともできない。ホワイトハウスの敷地内に入った未確認飛行物体は大統領の許可が出れば打ち落とせるそうだ。第2代大統領から使い始めているので初代大統領ワシントンは使っていない。
← ホワイトハウス
ゼロマイルストーンはアメリカ合衆国の道路元標で、ホワイトハウスの正面にある。
このツリーは毎年大統領一家が飾るクリスマスツリー。今年は1本目も2本目も折れて、これは3本目。
← 左:ゼロマイルストーン
← 右:クリスマスツリー
〈国会議事堂〉
ワシントンD.C.の中心に建っている。左側の上院と、右側の下院によって構成されている。旗が立っているときは会議中の印。この写真では上院も下院も会議をしている。
← 国会議事堂
〈ウドバー・ハジー・センター(航空宇宙博物館の別館)〉
↑ ウドバー・ハジー・センター ↑ 館内の様子
↑ B29 エノラ・ゲイ ↑ スペースシャトル ディスカバリー
8月6日に第393中隊所属のB29 エノラ・ゲイが広島に原子爆弾を投下した。予想していたよりずっと大きくて1枚の写真に入りきらなかった。
NASAのスペースシャトルで、機体全体には特殊タイルが貼られている。
39回のミッションで使用された。
3月22日(金)
〈ワシントンの地下鉄〉
お金を入れて+-のボタンで必要な金額に調節して発行する。日本とは違って、混み合うピーク時には券の金額が高くなる。差が50セントくらいの駅もあれば、1ドル以上違う駅もある。
切符はただの紙に印刷されているだけだった。
↑ 券売機 ↑ 料金表示
〈フォードシアター〉
フォードシアターは、南北戦争が終結して間もない1865年に観劇中のリンカーンが狙撃、暗殺された場所である。
フォードシアターではリンカーンが座っていた席が当時のまま保存されている。
← 劇場内
↑ フォードシアター(外観)
フォード劇場の向かいのただの宿屋だった。しかしリンカーンが狙撃後運ばれてきたことから有名となった。このベッドは本物ではないが、枕カバーは本物。リンカーンは背が高くベッドが小さかったため斜めに寝かされたという。
↑ ビターセンハウス ↑ リンカーンのベッド
〈FBI〉
合衆国連邦捜査局
ジョン・エドガー・フーバーは長期にわたり長官を務めた。
FBIのパトカーを見たのは初めてなので前を通るとき少し緊張した。
↑ FBI ↑ パトカー
〈スミソニアン博物館群 国立自然史博物館〉
身長3.9メートル、体重8トン。像の長い牙は本物ではなくグラスファイバー製である。本物の象牙は重すぎて立っていられないためグラスファイバー製となっている。
← アフリカゾウ
↑ 国立自然史博物館
45.25カラットのブルーダイヤ。どの方向からも見えるように4方向に回転するようになっていた。
↑
ホープダイヤモンド
マリー・アントワネットがルイ16世から贈られた「しずく型のダイヤ」のイヤリングである。光り輝きすぎてカメラではうまく撮れなかった。
↑ マリー・アントワネットのイヤリング
〈スミソニアン博物館群 宗教画〉
この絵は宗教画である。女の人が抱いている子がイエスキリスト。犬が忠誠を表し、キジが永遠を表している。どちらもキリスト教が永遠に続いていくようにという意味だ。またこの絵にはキリスト教のシンボルである星が直接には描かれていない。
← 宗教画
↓ 拡大図
しかし、この赤い服を着た男が上を向いて驚いていることで星が表現されている。人は何もないのに上を向いて驚いたりしない。つまり、この男は空に浮かんだ星を見ているということになる。と、ガイドの「よしこさん」が説明してくれた。こういう説明があると絵を、よりおもしろく楽しんで見ることができると思った。
この絵には時計が描かれており4時15分を指している。ではこの4時15分は夕方なのか明け方なのか。それは同じくこの絵に描かれているろうそくで判断することができる。ろうそくはとても短くなっていて今にも消えそうなことからこの肖像画は明け方に描かれたと判断できるのだ。
↑ ナポレオンの肖像画
元々は赤色の絵の具で描かれた赤いバラだった。
しかしゴッホは、はじめお金がなかったためあまりいい絵の具を使っていなかったようだ。
そのため年月がたって絵の具の色が落ちてしまったのである。
↑ バラ ゴッホ作
〈スミソニアン博物館群 国立宇宙博物館・本館〉
人類初の動力飛行に成功したときの航空機である。1903年にこの機体は飛び立った。
これが巨大技術の元となり、100年もしないうちに現在の飛行機が完成し、宇宙にまで行けるようになったと考えると人類の進歩は早くて本当にすごいと思う。
↑ ライト兄弟の1903フライヤー
アメリヤ・イヤハートは1932年に女性として初めて大西洋の単独横断に成功した。1935年にはホノルルからカリフォルニア州まで女性として初めて飛びきった。しかし1937年世界一周旅行に旅立って以来消息不明となった。
アメリヤ・イヤハートはアメリカ人にとても人気がある。
↑アメリヤのロッキード5B「ベガ」
3月23日(土) ニューヨーク
〈ニューヨーク〉
ニューヨークでは黄色いタクシーが有名。町のそこら中に黄色いタクシーがたくさん走っていた。
↑ イエローキャブ
ニューヨークでは13歳以下の子どもをひとりで学校に行かせたり留守番をさせたりすると虐待とされてしまう。かならず送り迎えが必要で、誰が迎えに行く人も登録されているという。やはり治安がよくないのだと思った。
↑ スクールバス
〈9.11メモリアル〉
9.11メモリアルというから広島ドームみたいにそのままの感じで残っているのかと思ったら、新しく建設中だったのでイメージと違い驚いた。今回は、グランドゼロの跡地には入ることはできなかった。
↑ 9.11メモリアル
〈レストランで食事〉
日本のレストランと違って男のウェイターさんが多くいた。また日本と違って、ウェイターが食事を運んできたらチップが発生する。このレストランでは約2割がチップでレシートにすでに含まれていた。机ごとにウェイターが決まっていて、店員同士で助け合ったりはしない。そのかわり、担当の机のチップはすべてもらえるという仕組み。だから最終的に支払う金額は、料理代+税金+チップになる。
自分が知っている世界と違いすぎて驚いた。計算をするのに10分くらい
かかってしまった。日本の支払いのシンプルさを改めて思い知った。
↑ オーガニックレストラン
〈自由の女神〉
・右手 希望のシンボルのたいまつ
・慈愛に満ちた表情
・左手 1776年7月4日と刻印された独立宣言書
思ったより近くで見ることができ自由の女神の高さを実感することができた。
↑ 自由の女神
高いビルが並んでいて1番ニューヨークらしい景色を眺めることができた。
〈タイムズスクエア〉
ブロードウェイから7番街と42丁目から47丁目が交差するあたりがタイムズスクエア。
360°見渡す限りネオンの光でいっぱいだった。毎日ミュージカルを見ようとする観光客で賑わう場所。
↑ タイムズスクエアの様子
ミュージカル(ウィキッド)は舞台の作りからして本格的で迫力があった。前の方の席の人はドレスコードをしている人もいた。
役者さんのアカペラがすごい声量で大きなホールに響いていて、とてもひとりで歌っているとは思えなかった。
すべて英語だったが、だいたいのあらすじがわかっていたのと劇の流れで何となくはわかった。しかし会場が笑っているがなぜなのかわからないことも多くあり、英語をもっと理解してからもう一度来たいと思った。
↑ ウィキッドの舞台
3月24日(日)〈セントラルパーク〉
セントラルパークの池は涙の形。
セントラルパークでは毎日朝早くからランニングをしている人が多く、ニューヨークには健康志向の人が多い。この日も朝から多くの人が走っていた。マラソン大会が開かれていたらしい。ワシントンには太り気味の人が多かったが、NYにはスレンダーな人も多い。
↑ 地図 ↑ ランニングをしている人々
超高級住宅で、ジョンレノンとオノ・ヨーコが暮らしていた。
オノ・ヨーコが毎日見ることができる位置に慰霊碑IMAGINEがセントラルパーク内に作られ、花が添えられていた。
ダコタハウスには住人全員の許可がないと住むことができないらしい。
↑ ダコタハウス ↑ IMAGINE
〈メトロポリタン美術館〉
200万点以上のコレクションが並ぶ。
1階コレクションには、アメリカンウィング,武器,エジプト美術,ヨーロッパ彫刻・装飾美術などがある。
2階コレクションには、中国美術,日本美術,楽器,写真などがある。
他にもまだたくさん見るところがあって、時間内にはほんの一部しか見ることができなかったが、それでも作品のすごさは十分感じることができた。美術館の中には警備員の人がひと部屋ずつくらいにいて、絵に近づきすぎたり、走ったりすると注意された。
↑ メトロポリタン美術館
エジプト美術
↑ ミイラ ↑ はかりを表した絵
ゴッホの作品
↑ 麦わら帽子の自画像 自画像の裏に描かれてあった絵 ↑
(自然史博物館)
映画ナイトミュージアムの舞台となった自然史博物館。
正面に立っている像は馬に乗るルーズベルト。
ルーズベルトの頭には鳩が巣を作らないように針が刺さっている。
ナイトミュージアムに出てくるものを探してみたが意外と少なかった。また、配置も全然違っていたのでテレビで見て知っている自然史博物館とは違う博物館を楽しめた。
自然史博物館↑
思っていたよりもずっと小さかった。
他の美術館などにもいくつかあるらしい。
↑ 考える人
↑ サカガウィア像 ↑ イースター島のモアイ 北米の哺乳動物(ジオラマ) ↑
4階には化石がたくさんあった。アロサウルスはかつて地球上に存在した肉食恐竜。マンモスは約1万1000年前に発掘されたもの
↑ マンモス ↑ アロサウルス
〈グランドセントラル・ターミナル〉
高さ125フィート。駅とは思えない広さだった。
天井には星座が描かれている。描くときに鏡を写しながら描いたため裏返しの星座となっている。
これは天球を外側から見た、神の視線による星座を表している。
2013年に生誕100周年を迎え、記念式典が開かれた。また2014年に100周年を迎える日本の東京駅と姉妹提携を結ぶらしい。
屋上では、お金持ちの方々が、テニスができるようになっているそうだ。
↑ 外観 ↑ 内観
地下鉄の乗り方
メトロカードを買う。(発行料1ドル)
改札でメトロカードをスライドさせる。メトロカードの読み取り部分が傷つくとカードが使えなくなってしまう。実際私のカードは傷ついて使えなくなってしまい通れなくてとても焦った。
下車するときはメトロカードをスライドさせる必要はなく、そのまま降りることができる。
マナカと違ってすぐ傷がついてしまう点や、最後カードを使わなくていい点が日本とだいぶ違うと思った。
また次どの電車がくるかは事前にはわからないらしく、みんな掲示板の前で電車のチェックをしているらしい。
とても不便そうだ。
〈5番街〉
アメリカは州によって消費税が違う。
ニューヨークの消費税は約8%。
しかしニューヨークでは服や靴など身につけるものに関しては100ドルまでこの税金がかからない。すべて免税となる。
ティファニー本店では高級そうな宝石やネックレス、ブレスレット、食器などが売っていてとてもおしゃれだった。果敢に入っては見た物の、やはり高校生にはちょっと場違いな感じがした。
↑ 5番街の通り ↑ ティファニー本店
〈セントパシフィック大聖堂〉
カトリックのアメリカ合衆国で1番重要な教会。
工事中で中はあまり見ることができなかった。お祈りしている人は写真に撮ってはいけないらしい。ちょうど復活祭のミサが行われていた
↑ セントパシフィック大聖堂
〈ロックフェラーセンター〉
5番街と6番街,48丁目と51丁目に囲まれたエリア。
中心はアイススケートリンクとして使われており、その周りには万国の国旗が飾られている。この国旗は国連参加国なので日本の旗もあるはずだが見つけることはできなかった。
12月になると大きなクリスマスツリーが飾られることで有名。
エンパイアステートビル(真ん中)やタイムズスクエア(右)、その他セントラルパークやジョージワシントンビレッジも眺めることができる。
360°美しい夜景を眺めることができた。
今まで見た夜景の中で1番きれいだった。
↑ トップ・オブ・ザ・ロック 高さ約260メートル 展望台からの夜景↑
〈今まで食べた食事の数々〉
ワシントンでのシーフードバイキング
魚介類の料理は香辛料の味がすごくした。
ザリガニはいかにもザリガニという味がするらしい。
↑ ザリガニ ビーフ↑
マクドナルド
アメリカのマックのサイズは大きいのかと思っていたら、日本とあまり変わらないサイズだった。最近は大きいハンバーガーじゃなくなったらしい。
↑ マックのラップ マックのメニュー↑
フードコート
ピザはふたきれで日本のピザの1枚分くらいあった。
カップケーキなどのお菓子はものすごく甘かった。
ほとんど米はなく、だいたいパンしか売っていない。
煮物も全然見かけなかった。
最初はお店の人が何て言っているのか全然わからず知らない間に注文が終わっている感じだったが、3日目くらいになって慣れてくると、だいぶ楽に注文ができるようになった。
レストランのご飯
豆腐や中華だったので食べやすかった
しかし量がめちゃくちゃ多い。
ホテルの朝食
ホテルの朝食はきつい香辛料が入ったものは少なく、日本人の舌にあった味付けだった。
あっさりしていて1番おいしかった。
3.おわりに
アメリカへ行って1番困ったことは、買い物をするときやものを聞くときに、ネイティブのひとの英語が早すぎて聞き取れず何を言っているのか分からなかったことと、わかったとしても返事を英語でどう言ったらいいのか困ったことだった。ついた初日や2日目は周りから英語しか聞こえてこないことに改めて驚き、話すのが怖いと思ってしまって、ほとんど話すことができなかった。しかし何日かすると耳も慣れてきたし、現地の人が親切だったので、身振り手振りをしながらだいぶ自分の意思を伝えられるようになり、最後の方はあまり怖がらずに現地の人にものが聞けるようになり嬉しかった。
アメリカは日本と違って大きい国なのだろうと思ってはいたが、実際に見てみると、想像を超えるスケールの大きさだった。そのため何かものを見るたびに、「すごい」と「でかい」を連発してしまった。ニューヨークのビルは日本のビルとは比べものにならないくらい大きかったし、自由の女神も巨大だった。ひとつひとつのもがすべてスケールの大きい国だなと思った。
また美術館や博物館には日本では見ることができない大きな彫刻の作品や、教科書でしか見たことのない有名な絵画、映画に出てくるような作品などを間近で見ることができて本当に感動し、一日中見ていても飽きないと思った。今回はあまり時間がなかったため、一部分しか見ることができなかったが、また行く機会があれば他の作品も是非見てみたいと思いました。
また、日本とは全然違う文化にも触れることができたことが印象に残りました。
まず、アメリカではチップを払うことが常識だった。ホテルのベッドメイキングや、レストランでのウェイターさんへのチップなど、チップを払う場面がたくさんあった。日本ではこういうことは全部サービスとしてやってくれるので全然なれることができず、日本のサービスのよさを改めて感じた。
お店の店員さんは入ると” Hi, how are you?”と聞いてきて驚いたし、レジでは後ろに人が並んでいるのにお客さんとのんびりと長話をするので日本ではあり得ないことだと思った。アメリカ人の気さくさは慣れ親しみやすくていいなと思ったが、それでもサービスの面では日本の方がダントツにいいと思った。
食べ物は基本的に量が半端じゃなく多かった。日本人が2人か3人で分けるような量を1人分として出てきた。デザートはとっても甘くって、着色料がものすごく使われていた。基本的にアメリカでの食事では煮物は出てこなかった。おいしい食べ物はいっぱいあって楽しかったが、すぐに日本食が恋しくなったので、やはり自分は日本人だなということを実感した。
このように日本とアメリカの違い、それぞれの国のいいところがわかってとても楽しかった。これから先、いろんな勉強をすることで、もっと多くの国のことを知りたいと強く思いました。文学部の中にも外国語だけでなく、異文化を学ぶコースもあるのでそういうことを学ぶことも選択肢のひとつとして考えても良いと思うようになりました。
日本にいるだけではわからなかったことがいっぱい学べた1週間だったと思います。
最後になりましたが、このような貴重な体験をすることができたのは出資者である熊澤さんをはじめ、財団の関係者の方々、旅行会社の方々、そして学校の先生方のおかげです。 本当に心から感謝をしています。貴重な体験の場を作ってくださってありがとうございました。 この楽しくてすばらしい体験を後輩たちにも伝えていきたいと思います。是非こういう体験をすること、自信をもってをおすすめます!。