US2019報告集_日程11

 第7回海外学習助成事業の報告集 日程別レポートのまとめ 

 参加者から提出された報告レポートです。個人名や写真の表現・配置等にオリジナルとは異なる点はご容赦ください。皆さんのレポートは下の日付をクリックして頂くとご覧いただけます。
 3月21日分 3月22日分 3月23日分 続き  3月24日分 続き 
 3月25日分 続き  3月26日分 26~28日   個人別レポートへ    Homeへ 

スミソニアン博物館群とメトロポリタン美術館見学8日間の旅

3月21日(木) 1日目 

結団式で

出発

 午前10時、名古屋駅で出発式が行われました。財団の方や先生からありがたいお言葉を頂き、ようやくアメリカに行く実感が湧いてきました。そこから新幹線で品川に行き、成田エクスプレスで成田空港へと向かいました。新幹線の中ではみんなとの会話も弾み、リラックスすることができました。また、みんなで協力し荷物の乗せこみなどができ、アメリカでも協力しあっていける気がしました。

 空港に着き、荷物検査やチェックインなどを済ませ、期待と不安を抱えながら飛行機に乗り込み、出国しました。席は広くはありませんでしたが、十分に休憩をとることができました。12時間半のフライトの中で観たかった映画を観ることができて、機内食も温かくて美味しくてとても満足でした。ただ、長時間座りっぱなしなのと気圧の変化で足がむくみ靴がとてもきつかったです。

到着

 長いフライトを終え、ついにアメリカのワシントンDCに到着しました。日本の夕方に出発しアメリカに着いたのも夕方でした。13時間の時差を体感し、不思議でした。アメリカの入国検査はとても厳しく、指紋や写真撮影がありました。英語で質問され少し戸惑いましたが、無事に通ることができました。
しかし、生徒10人と先生は無事入国できたのですが、添乗員の牧瀬さんが待っても待っても来ません。心配になりながらもゲートを出るとガイドの君代さんが待っていらっしゃいました。お話ししながら待っていると、ようやく牧瀬さんがいらっしゃってやっとの事でバスに乗り込みました。後から聞くと、アメリカに度々入国していたということで疑われ、別室に移動させられてしまっていたようです。それだけアメリカの入国審査は厳しいのだなと実感しました。
そんなハプニングもありましたが、無事全員で専用バスに乗りホテルのレストランに向かいました。外は日本に比べてとても寒かったです。アメリカの方が運転されるバスはガタガタと揺れながら結構な速度で走っていました。これもお国柄なのかなと感じました。その日はあいにくの雨で、窓が曇って車窓からはあまり景色を眺めることができませんでした。

レストランでの食事
 宿泊ホテルのホリデイ・インキャピタルにつき、その中のレストランの奥の方に大きなテーブルがありみんなでそこに座りました。アメリカでの最初の食事で、とてもワクワクしていました。水の他に、コーラやジンジャーエールなどのソーダも選べました。ストローは紙製で、環境に配慮してありました。
メニューは、パン、ブロッコリーのクリームスープ、ステーキ、そしてデザートはNYチーズケーキでした。パンの種類はクランベリーやくるみが混ぜ込んであるものとバゲットがありました。ブロッコリーのスープは、ブロッコリーがゴロゴロと入っていてとても美味しかったです。そしてメインのステーキは、野菜やマッシュポテトの付け合わせとともにスライスされた大きなステーキが4枚乗っていました。ソースは日本にはないような味でしたが、お肉とあっていてとても食べ応えがあり美味しかったです。面白かったのは、付け合わせのブロッコリーの大きさです。お肉の下に、普通の大きさの5倍くらいありそうなブロッコリーが隠れていて、まるで森のようでした。デザートのNYチーズケーキは、びっくりするほど濃厚で甘くて美味しかったです。スイーツは別腹とはいえ、とてもお腹いっぱいになりました。メニューは決まっていたので英語を使って注文することはなかったですが、飲み物を選ぶ時や料理が運ばれてくるときに少し緊張しました。

ホテルの部屋は思っていたより広く、ベッドが大きくて感動しました。テレビをつけると、コマーシャルやニュースがやっていましたが英語が速くて何を言っているのかよく聞き取れませんでした。ロビーの売店に寄ってみると、色とりどりのお菓子や飲み物が並んでいて写真を何枚も撮りました。私はオーガニックのフルーツティーとプレッツェルにチーズが入ったお菓子を買いました。アメリカの飲み物は着色料や砂糖をたくさん使っているイメージがあったので、アメリカにもオーガニックがあるんだ、と驚きました。2つで10ドルほどし、高くて驚きました。これがアメリカに来て初めての買い物で、とても緊張しました。硬貨の使い方が分からなかったので、紙幣で払いました。これからは硬貨を使っていきたいなと思いました。部屋に戻りシャワーを済ませた後、やはり疲れていたのかベッドに入るとすぐに眠りにつくことができました。時差ボケもなくぐっすりと朝まで眠ることができました。

3月22日
20818 高畑孝太

研修旅行2日目は、ワシントンDCにて市内研修を行いました。旅の記録としてのレポートということですので、時系列順に報告させていただきます。
 この日最初に向かったのは、アーリントン国立墓地です。ここは戦没者たちが眠る場所。正直、アメリカに来て初日の、それも朝一番の見学場所が墓地か…と気分の乗らない部分がありました。しかし、いざ中に入ってみると、そこはとても素晴らしい場所でした。まず目を奪われたのは、縦横斜めどの角度からみても完璧に整列された墓石の数々。見渡す限りの真っ白な墓石はいかにも軍の規律正しさを示しているようで、と同時に国のために亡くなった彼らを最期まで大切にしようとする姿勢が窺えました。亡くなった本人だけでなく、その家族まで一緒に葬ってくれるという制度がそれを表していると思います。日本で墓地というと妖怪や幽霊といった怖いイメージがつきまといがちですが、ここはむしろ軍人たちからパワーをもらえる場所でした。
 次に向かったのは、リンカーン記念堂。第16代大統領エイブラハム・リンカーンの功績を称えた建物です。ここは事前学習で僕が担当した場所でもありますので、調べてきたことを実際に肌で感じ、体に焼き付けてきました。インターネット上の写真では決してわからなかった石材の滑らかな肌触りに、リンカーン坐像の厳かな迫力。あのキング牧師が演説を行った場所と同じ場所に立つこともできました。そこからは国会議事堂が正面に見え、ここで演説を行った意義をはっと気づかされ、また、演説当時の緊張感が伝わってきました。
 次に向かったのは、ホワイトハウスならびに国会議事堂。この日、ホワイトハウスには上院議員の方がいらっしゃっていたそうです。ちょうどその方がリムジンで中に入っていく様子を見ることができました。政治の中心として機能している部分を見ることができ、本当に幸運であったと思います。肉眼で見えるほどの近さであったのに、ホワイトハウスはとても遠い存在に見えました。世界の権威を目の当たりにした証拠でしょう。
 そんな中にも、一つの癒しが! なんと、ホワイトハウス前の公園でリスに遭遇しました。名古屋ではまずありえないシチュエーションです。そんな愛くるしい姿に僕たちはメロメロでした。少しあたりを見回してみると、カラスが1羽もいないことに気がつきます。ハトもスズメも、ほとんどいません。生態系という観点からも、日本との違いを発見することができました。
 さて、続いて国会議事堂。第一印象として感じたのは、とても大きくて、かっこいい。
ワシントンでは、この国会議事堂よりも高い建物を建ててはいけない、という決まりがあるそうです。こんなにも立派な建物で国会が開かれることを考えると、政治家の皆さんはさぞかし力が入ることだろうと感じました。
てっぺんに立つ自由の女神像。この自由は
「liberty」ではなく「freedom」を表していることを教えていただきました。他国の支配から独立したアメリカにとって、これは大変おおきな意味があることは容易に想像できます。

この日はユニオン駅でランチ。自由行動で、それぞれが思い思いの時間を過ごしました。アメリカに来て、初めて自分で注文をしての食事です。頼んだものとは全く違うメニューが提供されてきたり、1つしか頼んでいないものが2つ提供されてきたり。失敗もありましたが、とても良い経験になりました。僕たち男子のグループはというと、ある出会いがありました。フードコート内を散策していた時のことです。そこには、日本ではあまり見られないものがありました。VR体験ブースです。アメリカは日本よりもVR技術に積極的なようで、博物館や後述するウドバーハジーセンターなどいろいろな場面で出会いました。しかし、今ご紹介したいエピソードはVRに関することではなく、そのブースの横にあったパックマンのゲームについてです。僕たちが興味本位でやったこともないパックマンのゲームをプレイしていると、一人の少年がこちらにやってきました。
「お兄さんたちまだまだだね、僕が魅せてあげるよ!」と言いたげな様子で。とんでもないフランクさ、フレンドリーさに僕たちは呆気にとられていました。彼にコントローラを譲ると、良プレイの連続。少しずつギャラリーも集まってくるほど。さすがに驚きました。これがアメリカンのノリ。一瞬で友達になれてしまう。すぐに集合時間が迫ってしまったのが残念でした。
 良い出会いののちに、午後の研修として僕たちが向かったのは国立航空宇宙博物館別館(ウドバーハジーセンター)です。ここにはスペースシャトル・ディスカバリーやブラックバード、月光といった誰もが一度は聞いたことがあるような有名な機体が、それも本物が展示されています。
僕は特にスペースシャトルに惹かれました。
今目の前にあるこれが、宇宙に行ったんだ…そう考えるだけで興奮しました。機体を観察してみると塗装が剥げている部分、大気圏突入の際の摩擦熱で焦げている部分がみられました。
他にも語りたいことが山積みなのですが、あともう1つだけ。フライトシミュレーターの体験をしました。自身がパイロットになって、敵戦闘機と戦うというシミュレーションでした。受付の方とうまくコミュニケーションが取れず、少し苦労もしました。その方は英語があまり聞こえない僕たちに対しても嫌な顔をせず、どうしたら伝わるだろうと工夫してくださいました。とても良い人でした。ありがとうございました。さて、僕は一人で体験しました。ひねり、宙返りといったダイナミックな動きができて、本当に楽しかったです。敵機を一機も落とすことはできませんでしたが。
 ディナーはイタリアンでした。
意外だったのは、大皿に料理が盛られ、みんなでシェアして食べるスタイルだったことです。テーブルも中華料理を連想するものでした。そのテーブルの中心にはローマ法王の胸像。テーブルにあわせてクルクルと回る様子はシュールで、あまり箸が進む感じではありませんでした。箸は使ってないですけどね。
 とてもとても長い1日がやっと終わりました。濃い。この一言に尽きます。たった1日とは思えないほどの多くの実りがありました。以上で報告とさせていただきます。

3月23日
20519 佐藤 宏哉

・国立自然史博物館

国立自然史博物館では、植物、動物、化石、鉱物、岩石、隕石、等の美しく壮大な標本の数々を
間近で、見たり、触れたりすることが出来て感激でした。生き物の進化の軌跡を実際に目の当たりにして、自然の雄大さ、そして力強さをありありと痛感しました。
 いくら時間があっても足りないくらい濃い内容でした。
ただ展示物を見て回るだけでなく、なかには実際に触れることが出来るものもあり、視覚だけはわからない情報がたくさんあり飽きることがなかったです。

 なかでも特に驚いたのは鉱石の展示スペースです。ホープダイヤモンドをはじめとした世界中から発見されたカラフルな宝石、鉱石が数多く展示されており、自然と目が吸い寄せられてしまうような、あの感覚を今でもはっきりと覚えています。やはり宝石には人を魅了してしまう力があるのだなと再認識しました。
説明書きを見てみると、化学で習った化学式もあり、実際の物質の質感や大きさがよくわかって目が釘付けになりました。

また、大迫力の剥製たちにも興味をそそられました。自然史博物館では数多くの動物達の剥製が展示されていますが、動物達の野生の姿や生活など躍動感にあふれ、今にも動き出すのではないかと思うほどの迫力でした。

3月23日
20631 原山恵輔
ワシントンD.C. 研修3日目 スミソニアン博物館群見学

自然史博物館(他のメンバーが発表予定)の後は、公文書館へ。公文書館と聞いて、最初は何が展示してある施設なのかピンとこなかった。ここについては事前学習をしていなかったので、とりあえず厳しめの手荷物検査を終えて中へ入る。
ガイドさんの説明によると、どうやらアメリカ独立宣言やアメリカ合衆国憲法の原稿が展示されているらしい。内部は資料のインクの劣化を抑えるため薄暗く、写真撮影は禁止。ガードマンの人数も多い。独立宣言や憲法の原稿は一見印刷かと思うほど綺麗な手書きで書かれていたが、筆記体なのでほとんど読めない。世界史Bの授業ではまだアメリカについて全く触れていないので歴史的背景もほとんどわからない。
そんななかで、父親と来ていた7歳くらいの男の子が突然胸に手を当ててアメリカの国旗に向かって「忠誠の誓い」を言い、父親も微笑んで同じポーズをするシーンを見かけた。アメリカでは小学生の頃から毎朝国旗に向かって「忠誠の誓い」を言うという話はどうやら本当らしい。もし日本でこの行動をしたら、おそらく危ない奴だと思われるだろう。アメリカ国民の愛国心に驚くと同時に、少し羨ましいとも感じた。

続いて、ナショナル・ギャラリーへ。内部は彫刻が置かれた中央通路を中心に絵画が飾られた小部屋が続き、まるで迷路のよう。もし地図なしで突然ここに放り込まれたら出てこられないだろうなぁ、と考えながら進む。
ここの目玉展示はアメリカ唯一のレオナルド・ダ・ヴィンチの絵らしく、珍しく絵がケースに入れて展示してあり、周りには人だかりが出来ていた。しかし、個人的にはダ・ヴィンチの絵はあまり印象に残るものでは無かった。
全ての作品を見て回ったら2日くらいかかりそうな数のコレクションなので、とりあえず早歩きでざっと回り、気になった小部屋で留まりながらで鑑賞することにする。フェルメール、ゴッホ、レンブラント、ゴーギャンと美術に詳しくない僕でも聞いたことがある画家の名前が並び、たまに美術の資料集で見たことがある気がする作品を見かける。そのなかでラファエロ・サンティ『ビント・アルトヴィティの肖像』の目の透明感や髪の質感と、クロード・モネ『散歩・日傘を差す女性』の静止画なのに躍動感がある風の表現が特に印象に残った。
印象派の小部屋では、近くで見ると本当に何を描いているのかわからないのに、離れて見ると薄い霧でぼやけたような美しい風景がしっかり見えるのが不思議だった。

ここでもう一度自然史博物館に行く組と航空宇宙博物館本館に行く組とに分かれる。
航空宇宙博物館本館は昨日訪れた別館のウドバー・ハジー・センターより敷地が狭いので大型機の展示は少ないが、その分小型機が所狭しと詰め込まれている感じでわくわくする光景だ。
アメリカの博物館は目玉展示でも過度に目立たせることなく展示する傾向があるみたいで、ここでも触れる月の石がしれっと展示されている。1970年の大阪万博でアポロ計画によって持ち帰られた月の石を見るために物凄い数の人が集まっている映像を見たことがあったが、スライスされた一部とはいえここでは待ち時間ゼロで月の石にさわることができて少し驚いた。月の石は石というより金属の塊のような感触だった。
スペースシャトルの打ち上げ映像は宇宙マニアではなくてもつい見入ってしまう。宇宙についてのNASAの展示を見ると宇宙に行ってみたくなること間違いなしだ。
ライト兄弟の飛行機、ライトフライヤー号の実物もある。思ったより大きくて、今でも十分飛ばせそうな完成度だ。説明によるとライト兄弟はもともと自転車屋で、自転車の技術を応用して飛行機を制作したらしい。そう言われてみると確かにエンジン付近に自転車のチェーンの構造が使われているのがわかった。

研修前にスミソニアン博物館群が舞台の映画『ナイト・ミュージアム2』を予習も兼ねて見てきたので、映画に登場する海と船の絵、ナショナル・ギャラリーの噴水広場、アメリア・イアハートの赤い飛行機などを見るのは特にわくわくした。
3月24日
104R 二番 上野佳那

   1. ジェファーソン記念館

アメリカ合衆国第三代大統領トーマス・ジェファーソンヲ記念して建立されたもので、研修に行くまではリンカーンやワシントンに比べあまり聞いたことがない大統領の名前だったのですが、前日に公文書館に行かせていただきジェファーソンの作成した独立宣言のオリジナルを見た翌日に向かったので、ジェファーソンのこともっと真剣に見つめることができました。
←中の様子 

  中は天井がとても高く隙間があるのでとても風が抜けやすくて寒く声が響くようになっていました。中央に配置されているジェファーソンの銅像はリンカーンの銅像と同じく人間よりもはるかに大きなサイズでした。その表情はとてもりりしいものとなっていて、ガイドさんの話で聞いた一日以上休まず独立宣言を書き上げた話や、とても頭がよくいろいろな職業を持っていたという話を思い出すような表情でした。アメリカではいろいろな銅像をたくさん見ましたがどれも違った表情を持っていて、この銅像はとても姿勢よくたっていることからもアメリカ人のイメージが表れているのかなと思いました。ここはリンカーン聖堂と違い人が少なかったためかとても静かで荘厳な雰囲気でした。雰囲気としてはアーリントン墓地と似ていました。中にはごみ一つ落ちていなくて、とてもキレイで誰かが掃除をしているのかななんて少し思っていました。

これは壁に描かれた、独立宣言でとてもきれいなのですが四枚中三枚が同の錆が垂れているのか青
緑色になっていてなぜ一枚だけ垂れていないか気になりました。
ジェファーソン記念館の中にあるジェファーソンの銅像が向いている方向の景色がとてもきれいだったので写真を撮ったのですが、このジェファーソンの銅像はホワイトハウスを向いているそうなのです。ちょうどホワイトハウスの前には木や建物がなくきれいにジェファーソンからも見えるようになっていました。リンカーン聖堂のリンカーンの銅像は国会議事堂を見ていて、その二つの銅像の視線がちょうど交差点のように交わっていると聞いてとてもかっこいい街だなと思いました。建物の立地や銅像
の向いている向きにまで意味があるなんてびっくりしました。この写真の中でほんのりピンクに咲
いている気は日本から送られた桜だと聞いてもう少し後にきていたらきれいに咲いたのかなと思い、
また来てみたくなりました。桜はもう寿命を迎えようとしているものは徐々に切られているそうで
いつまでもここに桜があればいいなと思いました。

3. ロナルドレーガン・ワシントン・ナショナル空港

ここでニューヨークへの国内線に乗りました。私は日本の国内線に乗ったことがあるのですが、ペットボトルの持ち込みが禁止されているなど日本よりもかなり厳重な手荷物検査があって、国際線に乗っていても比較ができないアメリカの警戒心の高さを再確認しました。機内では一列四席のとても細い飛行機でびっくりしました。

3月24日
                             10302  安藤百花

4日目のニューヨーク到着後、ハンバーガーを食べに行きました。最初にサラダが大皿で2つも3つも机に置かれ、フライドポテトやオニオンリングも食べきれないほど出てきました。主役のハンバーガーも中に挟む野菜は別で出てきて、アメリカ人は肉だけで食べる人が多いのかなと考えながらも、私は野菜を挟んでおいしくいただきました。ハンバーガーのお肉は、挟む肉にするには、もったいないほどジューシーでとてもおいしかったです。お店の雰囲気もとてもアメリカンで、サイダー無料でジュースは有料という謎のシステムにふきだしてしまいました。

夕食後は、エンパイヤステートビルからニューヨークの夜景を見学しました。自由の女神も上から見ることができたり、望遠鏡も無料で使えたりと驚くことも多くありました。でもなによりも頂上から見る夜景は、これでもかというほど光輝いていて、この美しさはきっとここでしか見られないんだろうなと思いました。でもその光1つ1つが建物で、その中で住んでいたり、働いていたりする人がいると考えると、ニューヨークという場所はいったいどれほどの人達が集まっているのだろうと、改めてアメリカのスケールの大きさを感じさせられました。
86階に行くために、2回エレベーターを利用しますが、そのエレベーターに乗ってみると、天井が動いたり、音が出たりするアニメーションが流れ、長い搭乗も退屈させないユニークな仕掛けがあり、とても楽しめました。誘導員さんもとてもフレンドリーでこんにちはと日本語で声をかけてくれたりしました。よく中国人と日本人は見分けがつかないとよく聞きますが、それが信じられないくらい、街を歩いていてもいろんな人に日本語で話しかけられました。
今でもこの夜景は忘れられません。
     

その後、タイムズスクエアに行きました。何回もテレビや写真で見たことはありましたが、想像以
上ににぎやかで、楽しそうで、雰囲気に圧倒されるというのはこういうことなんだと思うほどでした。とにかくいろいろなことをやっている人がいて、例えば大音量で音楽を流していたり、着ぐるみを着ていたり、CDを買わせようとしてきたりと、なにかと自由すぎてすごく面白かったです。ここは夜なんてこないんだろうなと思ってしまうほど、人が集まっていてお祭りにきているような感覚でした。大画面のモニターがたくさんあり、どれもこれでもかというほどに光っていて暗い空も隠れてしまうほどで、夜という感覚が吹っ飛んでいきました。あんな大画面で宣伝できたら効果は絶大だなと思います。タイムズスクエアにあるショップにも入ってみたかったのですが、時間がなくて立ち寄ることができなかったのでまた機会があれば、行ってみたいと思います。建物自体がプロジェクションマッピングのようになっているものもたくさんありました。
大晦日のカウントダウンで有名な舞台のところでも写真が撮れました。
後でその写真を見返してみると、後ろの外国人も私たちのやっていた、いいねポーズを真似してこちらのカメラを見て写っていたので、ここでも笑ってしまいました。日本人は、他の人のカメラに写らないようにするのがある意味、常識のようになっていると思いますが、アメリカに来てみると、その場にいる人みんなで楽しもう!みたいな精神でわざと他の人のカメラに映るという、どちらがよくてどちらがわるいというのはもちろんありませんが、こんなに小さなこと1つとってもやっぱり国が違えばこんなにも考え方が違うのだと改めて感じた1日になりました。
       

でも一歩外れるとすごく静かになるので、その差にはすごくびっくりしました。
人通りも一気に少なくなるので1人で通るにはすごくこわいなと感じました。

ワシントンD.C.からニューヨークに移り、また新しいホテルに滞在することになりましたが、私が案内された部屋のベッドはシーツがはだけていてとても寝られる状態ではなく、同室の先輩とこれは清掃されてこうなのか、されていないからこうなのかと迷い、一応ガイドさんに聞いてみるとやっぱりこれは清掃されていなかった、ということがありました。異国の地で何が正しくて何が正しくないのかわからないこともたくさんあり、言葉も通じない中で、それを問うのはとても勇気のいることですが、でもその勇気はとても大切で、おかしいなと思ったときは、とりあえず言ってみるという精神も必要なのだなと思います。なにかで日本人はあまり文句を言わないという話を聞いたことがありますが、私自身も小さなことだったら、言わなくてもいいかとなかったことにしてしまうことがよくあります。でももしそのひっかかったことを言っていたら何か変わっていたかもしれないと、アメリカに来てみて、私の心のどこかに隠れていた内気な考えがぐるりと変わりました。本当に小さな出来事でも学ぶことや、知ることがたくさんあり、1日1日がすごく充実していました。

3月25日(月)
106R 4番 梅宮拓夢
アメリカ自然史博物館(ニューヨーク)

アメリカには自然史博物館が2つあります。
1つ目は今から紹介していくニューヨークの方、もう
1つは別の人が紹介するワシントンDCにあります。
館内にはプラネタリウムがあり、かなり広い博物館となっています。今回行ってみて日本との規模の違いを感じることがきました。

左の写真はティラノサウルスの化石です。日本では絶対に触ることができませんが、ここでは下のほうに触り専用の化石があり、触ることができるんです。触ってみるとこれが昔生きていた動物の骨なんだなととても不思議な感覚でついたくさん触ってしまっていました。こんなことが体験できるなんてさすがアメリカだなと思いました。

右の写真はクジラの模型です。これは本物ではないのですが本物と同じ大きさなのでスケールに圧巻されます。また、この博物館は温度管理に徹底しています。この海の生き物の展示ゾーンでは寒く、
熱帯ゾーンでは熱くなっています。こういう細かいところから日本と違ってすごいなと思いました。

左の写真は第26代大統領セオドア・ルーズベルトの銅像です。彼は1906年にノーベル平和賞を受賞しています。また、政治家以外でも軍人、ハンター、探検家としても有名である。この銅像は等身大より少し大きくて初めて見たときに大きくて感動しました。近くまではいけなかったのですが20mほど離れてても大きく見えたので入り口の銅像まででかいんだなと感心しました。

まとめ
ニューヨークの自然史博物館に行き、本物を見ると日本との違いのすごさに驚きました。すべてが大きく、迫力がありました。館内も歩き疲れるほど広かったのですが、歩けば歩くだけわくわくや好奇心が湧きました。実際に昔の恐竜や、展示物に触れることで、新しい価値観も生まれましたしまた行きたいなという気持ちも生まれました。今後生活していく中で、この手に入れた新しい力を活かしつつ、また高校生活をがんばっていきたいなと思いました。今回協力してくださった財団の皆様、先生方本当にありがとうございました。この経験を活かしてこれからの人生につなげていこうと思います。

 3月26日火曜日

                                   20723 成田にこ
 前日と異なり、快晴のうえ、風もあまり強くはなく、絶好の見学日和でした。
①自由の女神へ
 公共交通機関である地下鉄(メトロ)を利用します。メトロカードと呼ばれるカードにあらかじめお金をチャージしておいてもらいました。料金はひと駅乗っても、一時間乗りっぱなしでも一律2.75ドルです。マナカのようなタッチ式ではなく、読み取り機械にカードの磁気の部分を通して改札をくぐります。読み取り機械にカードを通すスピードが早すぎても遅すぎても引っかかるので注意が必要です。実際、引っかかった生徒も何人かいました。改札は自動で開くものではなく、腰でバーを押すものでした。ひとりひとりがバーを回転させることで1日の利用者数が分かるようになっています。メトロの内部はわりと綺麗ですが、毎回毎回怪しげな人がいたりするので手荷物は必ず目の届く範囲に持っていなければいけません。日本の地下鉄と違ったのは出入り口付近に捕まることができるポールがあったり、吊り広告はなく、代わりに手すりがあること、折りたたみ式の優先席があったことなどです。ホーム柵は設置されていませんでした。

 自由の女神までの道のりでウォール街を通りました。真新しいビル郡のなかに少し古風な高い建築物が並んでいて、そこだけはニューヨークというよりもワシントンDCのように感じました。ウォール街はアメリカ・ニューヨーク市マンハッタン島南端の街路のことで、銀行・証券会社・株式取引所・連邦準備銀行などが集中しており、金融市場の通称でもあります。この場所が有名なのは1929年の世界大恐慌がここでの株価大暴落がきっかけで始まったからです。名前の由来は17世紀にこの地を支配したオランダ人が自分たちの身を守るために城壁を築いたからだとされています。2011年には格差社会の象徴として若者を中心に抗議のデモや集会が連続して行われました。それらの運動は人口の1パーセントに過ぎない強慾な富裕層が残りの99パーセントの庶民を支配する現状を変えようとする試みで、「オキュパイ(占拠)運動」と呼ばれました。最近は女性の権利のために戦うシンボルとして、かつては闘牛場にあった「戦う少女」の像が正面に設置されています。

少し奥まったところへ行くと、巨大な雄牛の銅像があります。これはチャージング・ブルと呼ばれる「アメリカのパワーの象徴」で、女性の芸術家、ディ・モディカによりゲリラ・アートとしてある日突然展示されました。はじめは警察により押収されましたが、人々の激しい抗議により証券取引所から2ブロック南のボウリング・グリーンの広場に正式に設置されることになりました。ある部分を触ると金運が上がるというご利益があるそうで、観光スポットとして有名で毎日数千人もの人が訪れるそうですが、わたしたちが訪れたときは現地ガイドさんが珍しいというほど空いていました。大きな銅像で、正面から眺めると今にも向かってきそうな迫力がありました。
 チャージング・ブルの向こう側にある広場のような場所は、ボーリング・グリーンというニューヨーク初の公立公園です。かつてこの場にいたオランダ人がボーリングをして遊んだからこの名が付いたと言われており、たくさんのチューリップが植えられています。そばにある建物はワシントンDCにあったスミソニアン博物館の一部のネイティブアメリカンの博物館です。映画の舞台にもなっているそうです。証券取引所のある通りを歩いていて、いきなりギリシャ神話に出てくる神殿のような建造物が現れるのには驚きました。
 もう少し歩くと、マンハッタン島オリジナルの最南端(マンハッタン島は埋立地)に着きます。そこは1629年にオランダ人とネイティブアメリカンが銀貨と島を交換した場所で、その光景が掘られている石と旗があります。その旗に向かって右側には、元々船着場で待合室として使われていた建物が見えました。その名残として、世界各国の港のエンブレムが掲げられています。
まっすぐ行くと、キャッスルクリントン(クリントン砦)があります。

そこの掲げられている旗は通常の星条旗とは異なり、独立当時の星の数です。かつては移民局として使われていた建物が水族館になり、現在はコロンビア大がデザインしたものになっています。大砲を装備したはよいものの、一度も敵に襲われなかったので使用されずに展示されています。
 自由の女神のあるリバティ島へ行くための船に乗るには、空港並みのセキュリティーチェックを受けなければなりませんでした。6日目ということもあり、いい加減身体検査にも慣れてきていたのですが、美術館よりも厳しいチェックだったことに驚きました。現地の方も多く、大変な賑わいでした。船の最上部の3階に上ると海からの風が冷たく、防寒着が足りないと感じるほどでした。15分ほどで自由の女神が進行方向右側に見えてくるのですが、乗客のほとんどが船からの写真を撮りに近づくので、船が傾いていました。遠くからでもはっきり見えた自由の女神はやはりとても大きく、松明部分の金が眩しく輝いていました。リバティ島上陸後はさらに近づいて写真を撮ってのですが、あまりに大きいため全体を入れて写真を撮ることが難しいようでした。女神といっても、たくましい腕と力強い佇まいで男性のように感じました。
②ニューヨーク近代美術館へ
 近代美術館へもメトロで移動しました。入場には手荷物のサイズに制限が有るため、荷物を預ける必要がありました。入場券の裏にはこの美術館に展示してある作品がプリントされています。ガイドブックには日本語のものもあり、回りやすかったです。この美術館の目玉展示のある5階まで上がり、そこから降りてくるという方式で回りました。規模はこれまで行った美術館の中で一番小さく、駆け足にはなりますが頑張ればすべてを見て回ることができるくらいでした。2階で無料のオーディオ・デバイスを借りることができますが、日本語の解説があるのは5階の展示についてだけでした。作品の前には椅子が置いてあるので、解説を聞きながらじっくり鑑賞することができます。有名なゴッホの「星月夜」やダリの「記憶の固執」には絶えず人だかりができていました。こんなにも近づいてもいいのかと戸惑うほど絵画に近づいて鑑賞することができるので、教科書や資料集などではわからない画家の筆遣いやキャンパスの端にはみ出た画材などまで見ることができました。知っている作品に出会うことも多く、本物はこんな大きさなのだと感心していました。

③ブロードウェイ・ミュージカル「ライオンキング」へ
 夕食を「bubba gump shrimp」という映画「フォレスト・ガンプ」を模したお店でのフィッシュアンドチップスで済ませたあと、少し歩いて劇場へ向かいました。鑑賞する劇はライオンキングです。劇場から伸びた人の列が1ブロック先まで差し掛かりそうなほどの人気具合でした。会場は1500人ほどが収容可能な規模で、満席でした。舞台自体の仕掛けが多く、この規模の演出は日本ではなかなか難しいのではと思いました。当然ずっと英語のミュージカルだったので、観客が笑っているところがよくわからなかったり、早口で聞き取りにくい台詞もありましたが、ああ、これはアドリブなんだなとわかるものもありました。この劇がなんの補助もなしに完璧に聞き取れるようになりたいと強く思いました。アクロバティックな動きや会場全体に響き渡る声量など、身体能力の違いがはっきりと現れていました。私も7年ほどミュージカルをやっていたので、演じる役者さんたちはとても大変だろうけど楽しそうだと思いました。観劇が終わったホテルまでの帰り道で、みんなとすごかった、感動したと感想を交わしあったときに、別に言語がわからなくてもすごいものはすごいものとして伝わって、人の心に残るのだと気づきました。3ヶ月ごとにオーディションを行って配役を決めると聞きましたが、そのように新米にとっては役がもらえるかも知れないチャンスが多く、逆に言えば既に役を持っている人にとっては落ちるかも知れない危機が多いという緊張感のある状態があるからこれほどのクオリティになるのかもしれません。観客は新規が3割、7割がリピーターとのことで、ライオンキングも何十年と続いている作品だそうですが、長いスパンでいいものが愛され続けるのは素晴らしいことだと思いました。
 移動距離が長く、様々な場所を見学して回ったのでとても疲れましたが、アメリカに慣れてきたこともあって充実した1日でした。

3月26,27,28日 
                                  205R24 竹内 果歩

3月26日
・映画をモチーフにしたレストランのババガンプシュリンプさんで夕食

タイムズスクエアを眺めながらフィッシュアンドチップスを食べました。
最初にガーリックトーストがでてきたのが外国の料理だなあと思いました。
ソースが日本でいうタルタルソールのような見た目でしたが、日本にないようなスパイスの味がして美味しかったです。

・ブロードウェーで「ライオンキング」を鑑賞

席が2階席の前のほうだったのでとても見やすかったです。すぐ左で太鼓等を演奏していたので音楽がとてもきれいに聞こえました。舞台のすぐ下にいる指揮者とその太鼓の演奏者とがアイコンタクトをしている姿も見ることができて貴重な体験でした。

第一幕の一番最初、照明がついた瞬間に私たちの2列前くらいのところでゴート役の役者さんが歌い始めてとても驚きました。男の人らしい低くいい声で、迫力もあって近くで聞けたことが本当にうれしかったです。杖のようなものを床に突いて音を鳴らしながら歌っていたのですが、その床の振動が伝わってさらに迫力を感じ、一緒に歌いたくなりました。

第一幕と第二幕の間の休憩では売店にライオンキンググッズを買いに行きました。26日は観光できる最後の日だったので、みんなほしいと思ったものは即決して買っていました。ブランケットやマグカップなどの雑貨や、劇中に使われていたものと同じデザインの主人公シンバのぬいぐるみも売っていて売り場はとても充実していました。私達しか買いに来ている人がいなくて驚きましたが、終演後に売り場が大混雑していたので休憩中に買いに行ってよかったなと思いました。

第二幕の最初は客席に10人くらいの役者さんが鳥などのがついたスティックを私たちの頭の上でまわしながら歌っていて、とても華やかな始まり方でまたすぐに劇に夢中になりました。

最後の悪役スカーがシンバに追い詰められていくところのシーンは追い詰められるごとに音楽がシンクロして盛り上がっていって鳥肌が立ちました。
観客は劇が終わり音楽が止まった瞬間にスタンディングオベーションしていました。指笛や何かを叫んでいるのが聞こえ、言語は違えども観客全員が称賛しているのを体感しました。
終演後に父親役の役者さんと一緒に写真を撮ってもらいました。すごく身長が高くてかっこよかったです。とてもいい思い出になりました。

帰り道にみんなでライオンキングの好きな場面や印象に残った場面などを語り合いました。同じ場面のことを話していても見ていることが人によって全然違って驚きました。
特に、シンバが誕生するときに様々な動物が集まってくるシーンでは、ライオン役のダンサーに見とれていたという子や、大きな象やキリンの内がどうなっているのか気になったという子、音楽が楽しかったという子など感じたことが人によって違って、みんなで感動を共有したり共感できたことがこの研修でミュージカルを見れて一番よかったなと思ったことでした。そのときに、あまり研修中話したことのなかった子とも語り合ううちに自然と仲がが深まって、やはりミュージカルって素晴らしいなと改めて思いました。

3月27日
・ニューヨークを出発しニューアーク・リバティ空港から日本へ

日本から来たときは初めてのことばかりで、「え、どうすればいいの?何て言っているの?」と困ることが多かったのですが、帰りはそういうことはあまりなく搭乗までとてもスムーズにできたので少し成長したのかなと思えて少しうれしかったです。日本行きの便であったこともあって日本人のキャビンアテンダントさんがいて驚きました。機内食もあたふたすることなく頼めてたので少し成長を感じました。

3月28日
・成田空港到着 中部国際空港へ

「わ~日本だ~!」とみんな言っていました。「トイレのドアが下まである!」とか「エスカレーター乗るの左側だ!」とか日本にいるときは普通だったことも懐かしく、感動することが多くありました。コンビニでおにぎりと緑茶を買って「お米おいしい~日本茶おいしい~」と言って早速食べている子もいました。私も家でご飯を食べて、アメリカのご飯がまずかったというわけではありませんが、でもやっぱり日本のご飯はおいしいなと思いました。
空港で英語でしているアナウンスを聞いて、少しかたことだなと違和感を感じたので、アメリカの本場の英語に少しは慣れれていたんだなと感じることができてうれしかったです。人とぶつかったときに「すみません」より先に「Excuse me sorry.」と無意識に言っていたことには自分でも驚きました。
この8日間は短いようでしたがちゃんと身についたこともあり、ハードなスケジュールのなかたくさんのものを見ることができ、日本の良さも再認識することができ、仲間との絆を深めることもできた最高の8日間でした。