第7回海外学習のレポート 3月26日分 2年NTNさんのレポート
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スミソニアン博物館群とメトロポリタン美術館見学8日間の旅
3月26日(火) 6日目
前日と異なり、快晴のうえ、風もあまり強くはなく、絶好の見学日和でした。
①自由の女神へ
公共交通機関である地下鉄(メトロ)を利用します。メトロカードと呼ばれるカードにあらかじめお金をチャージしておいてもらいました。料金はひと駅乗っても、一時間乗りっぱなしでも一律2.75ドルです。マナカのようなタッチ式ではなく、読み取り機械にカードの磁気の部分を通して改札をくぐります。読み取り機械にカードを通すスピードが早すぎても遅すぎても引っかかるので注意が必要です。実際、引っかかった生徒も何人かいました。改札は自動で開くものではなく、腰でバーを押すものでした。ひとりひとりがバーを回転させることで1日の利用者数が分かるようになっています。
メトロの内部はわりと綺麗ですが、毎回毎回怪しげな人がいたりするので手荷物は必ず目の届く範囲に持っていなければいけません。日本の地下鉄と違ったのは出入り口付近に捕まることができるポールがあったり、吊り広告はなく、代わりに手すりがあること、折りたたみ式の優先席があったことなどです。ホーム柵は設置されていませんでした。
自由の女神までの道のりでウォール街を通りました。真新しいビル郡のなかに少し古風な高い建築物が並んでいて、そこだけはニューヨークというよりもワシントンDCのように感じました。ウォール街はアメリカ・ニューヨーク市マンハッタン島南端の街路のことで、銀行・証券会社・株式取引所・連邦準備銀行などが集中しており、金融市場の通称でもあります。この場所が有名なのは1929年の世界大恐慌がここでの株価大暴落がきっかけで始まったからです。
名前の由来は17世紀にこの地を支配したオランダ人が自分たちの身を守るために城壁を築いたからだとされています。2011年には格差社会の象徴として若者を中心に抗議のデモや集会が連続して行われました。それらの運動は人口の1パーセントに過ぎない強慾な富裕層が残りの99パーセントの庶民を支配する現状を変えようとする試みで、「オキュパイ(占拠)運動」と呼ばれました。最近は女性の権利のために戦うシンボルとして、かつては闘牛場にあった「戦う少女」の像が正面に設置されています。
少し奥まったところへ行くと、巨大な雄牛の銅像があります。これはチャージング・ブルと呼ばれる「アメリカのパワーの象徴」で、女性の芸術家、ディ・モディカによりゲリラ・アートとしてある日突然展示されました。はじめは警察により押収されましたが、人々の激しい抗議により証券取引所から2ブロック南のボウリング・グリーンの広場に正式に設置されることになりました。ある部分を触ると金運が上がるというご利益があるそうで、観光スポットとして有名で毎日数千人もの人が訪れるそうですが、わたしたちが訪れたときは現地ガイドさんが珍しいというほど空いていました。大きな銅像で、正面から眺めると今にも向かってきそうな迫力がありました。
チャージング・ブルの向こう側にある広場のような場所は、ボーリング・グリーンというニューヨーク初の公立公園です。かつてこの場にいたオランダ人がボーリングをして遊んだからこの名が付いたと言われており、たくさんのチューリップが植えられています。そばにある建物はワシントンDCにあったスミソニアン博物館の一部のネイティブアメリカンの博物館です。映画の舞台にもなっているそうです。証券取引所のある通りを歩いていて、いきなりギリシャ神話に出てくる神殿のような建造物が現れるのには驚きました。
もう少し歩くと、マンハッタン島オリジナルの最南端(マンハッタン島は埋立地)に着きます。そこは1629年にオランダ人とネイティブアメリカンが銀貨と島を交換した場所で、その光景が掘られている石と旗があります。その旗に向かって右側には、元々船着場で待合室として使われていた建物が見えました。その名残として、世界各国の港のエンブレムが掲げられています。
まっすぐ行くと、キャッスルクリントン(クリントン砦)があります。そこの掲げられている旗は通常の星条旗とは異なり、独立当時の星の数です。かつては移民局として使われていた建物が水族館になり、現在はコロンビア大がデザインしたものになっています。大砲を装備したはよいものの、一度も敵に襲われなかったので使用されずに展示されています。
自由の女神のあるリバティ島へ行くための船に乗るには、空港並みのセキュリティーチェックを受けなければなりませんでした。6日目ということもあり、いい加減身体検査にも慣れてきていたのですが、美術館よりも厳しいチェックだったことに驚きました。現地の方も多く、大変な賑わいでした。船の最上部の3階に上ると海からの風が冷たく、防寒着が足りないと感じるほどでした。
15分ほどで自由の女神が進行方向右側に見えてくるのですが、乗客のほとんどが船からの写真を撮りに近づくので、船が傾いていました。遠くからでもはっきり見えた自由の女神はやはりとても大きく、松明部分の金が眩しく輝いていました。リバティ島上陸後はさらに近づいて写真を撮ってのですが、あまりに大きいため全体を入れて写真を撮ることが難しいようでした。女神といっても、たくましい腕と力強い佇まいで男性のように感じました。
②ニューヨーク近代美術館へ
近代美術館へもメトロで移動しました。入場には手荷物のサイズに制限が有るため、荷物を預ける必要がありました。入場券の裏にはこの美術館に展示してある作品がプリントされています。ガイドブックには日本語のものもあり、回りやすかったです。この美術館の目玉展示のある5階まで上がり、そこから降りてくるという方式で回りました。規模はこれまで行った美術館の中で一番小さく、駆け足にはなりますが頑張ればすべてを見て回ることができるくらいでした。
2階で無料のオーディオ・デバイスを借りることができますが、日本語の解説があるのは5階の展示についてだけでした。作品の前には椅子が置いてあるので、解説を聞きながらじっくり鑑賞することができます。有名なゴッホの「星月夜」やダリの「記憶の固執」には絶えず人だかりができていました。こんなにも近づいてもいいのかと戸惑うほど絵画に近づいて鑑賞することができるので、教科書や資料集などではわからない画家の筆遣いやキャンパスの端にはみ出た画材などまで見ることができました。知っている作品に出会うことも多く、本物はこんな大きさなのだと感心していました。
③ブロードウェイ・ミュージカル「ライオンキング」へ
夕食を「bubba gump shrimp」という映画「フォレスト・ガンプ」を模したお店でのフィッシュアンドチップスで済ませたあと、少し歩いて劇場へ向かいました。鑑賞する劇はライオンキングです。劇場から伸びた人の列が1ブロック先まで差し掛かりそうなほどの人気具合でした。会場は1500人ほどが収容可能な規模で、満席でした。舞台自体の仕掛けが多く、この規模の演出は日本ではなかなか難しいのではと思いました。
当然ずっと英語のミュージカルだったので、観客が笑っているところがよくわからなかったり、早口で聞き取りにくい台詞もありましたが、ああ、これはアドリブなんだなとわかるものもありました。この劇がなんの補助もなしに完璧に聞き取れるようになりたいと強く思いました。アクロバティックな動きや会場全体に響き渡る声量など、身体能力の違いがはっきりと現れていました。私も7年ほどミュージカルをやっていたので、演じる役者さんたちはとても大変だろうけど楽しそうだと思いました。
観劇が終わったホテルまでの帰り道で、みんなとすごかった、感動したと感想を交わしあったときに、別に言語がわからなくてもすごいものはすごいものとして伝わって、人の心に残るのだと気づきました。3ヶ月ごとにオーディションを行って配役を決めると聞きましたが、そのように新米にとっては役がもらえるかも知れないチャンスが多く、逆に言えば既に役を持っている人にとっては落ちるかも知れない危機が多いという緊張感のある状態があるからこれほどのクオリティになるのかもしれません。観客は新規が3割、7割がリピーターとのことで、ライオンキングも何十年と続いている作品だそうですが、長いスパンでいいものが愛され続けるのは素晴らしいことだと思いました。
移動距離が長く、様々な場所を見学して回ったのでとても疲れましたが、アメリカに慣れてきたこともあって充実した1日でした。