一般財団法人 瑞陵高校助成基金は、瑞陵生の学びを深めるための支援を行っています。

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第7回海外学習助成事業の報告集 2年NTN さんのレポート

 参加者から提出された報告レポートです。個人名や写真の表現・配置等にオリジナルとは異なる点はご容赦ください。皆さんのレポートは下の略名をクリックして頂くとご覧いただけます。
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スミソニアン博物館群とメトロポリタン美術館見学の旅8日間

はじめに

 私は今回の「スミソニアン博物館群とメトロポリタン美術館見学の旅8日間」に参加するにあたって、いくつか目標を決めていました。前半に訪れるワシントンDCでは自然史博物館で恐竜の化石を見ること、後半のニューヨークでは近代美術館にあるアンリ・ルソーの「夢」の実物を見ること、全体を通しては、本物のサイズ感をこの身を持ってしっかり味わってくることや積極的に英語での会話にチャレンジすることなどです。
 具体的に立っていた美術品や展示品を見るといった目標については、さして苦労もなく達成することができました。昔から興味のあった恐竜の化石は、ダイナミックで、こんなに大きな生き物が地球上に存在していたということに感動し、ティラノサウルスやブラキオサウルスの化石を斜め下からなどの図鑑では絶対に見ることができない角度から見れた時には、この上なく贅沢な心地がしました。

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 アンリ・ルソーの「夢」は絵画への興味と、この研修旅行に応募する決意を抱かせてくれた作品です。この絵画が登場する原田マハの「楽園のカンヴァス」を読んで、絵画はただそこに展示してあるだけでなく、画家がそれを描いた理由や展示されるまでの経緯などの物語があることを知りました。そんな思い入れのある絵画をニューヨーク近代美術館で実物を見たとき、想像以上の大きさと、丁寧な筆使いに息を呑みました。ギャラリーの同じ部屋に、この美術館で最も有名で人気のあるゴッホの「星月夜」が展示されており、人だかりは主にそちらにできていたのですが、私はずっとこの「夢」を眺めていました。どれをいいと感じるかも、どちらが好きと感じるかも個人の自由ではありますが、この作品にはみんなの知らないすごい歴史があるんだよ、と誇らしい気持ちになったのでした。

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 沢山の美術館を巡り、多くの美術品をみて思ったことは、美術品がとても立体的で、存在感があるということです。立体的な作品は言わずもがな、絵画だってキャンパスの厚みや塗り重ねられた画材の厚み、縁取る額縁の装飾があり、非常に立体的でした。
 存在感は、主に大きさによるものです。私の頭の中には美術の教科書に載っていたサイズで浮かんでいたダリの「記憶の固執」がずっと小さかったことに驚いたように、予想していたサイズと実物のサイズが異なっていることが沢山ありました。
 それらは主に予想よりも大きいという形で、全体を見るためには数歩下がって見上げなければなりませんでした。実物にものすごく接近して見られるというのも貴重な体験ですが、実物の存在感に圧倒されながら見上げるというのも貴重な経験でした。
 私は見上げながら、その作品の背景にある物語について想像を巡らせました。これほどの大きさの絵は元々どこにあったのか、画家はどんな気持ちでそれを描いたのか、所有者はどのように手に入れたのか、画家が込めたメッセージは受け取っていたのか、などです。全ての絵にガイドさんの解説があったわけではなかったので、想像の範囲を出ることはありませんが、こうして美術館を訪れなければ考えようともしなかっただろうと思います。
 ガイドさんの解説を聞きながら、自分の予習不足を後悔することも多かったです。とにかく広い美術館を限られた時間で回らなければいけないのに、見たい作品がどこにあるかわからなかったり、地図通りに行こうとしても道がなかったりと悪戦苦闘しました。目的とする作品を決めているなら、それがある場所まで調べておくべきでした。何度も同じところをさまよい歩いたメトロポリタン美術館ではとくにそう思いました。


 この1週間の研究旅行で、日本との違いに何度も驚かされました。空港に着いたとたん、入国審査官が拳銃を腰に下げていたり、防犯のためにトイレの個室のドアの下の方が空いていたり、なかなか鍵がかからなかったり、ひとつの注文にふたり分かと思える程のケチャップがついてきたり、空が高かったり、建物は大きかったり、道行く人の背が高かったり…。アメリカってすごいなと思うことも日本ってすごいんだなと思うときもありました。とくに、何度も止まった地下鉄に乗ったときには時間通りにやって来る日本の地下鉄のありがたさを噛み締めましたし、リバティ島までいって間近から自由の女神を見上げた時はその大きさに圧倒されました。写真はワシントン塔とタイムズスクエアです。青くて高い空に白い島がそびえ立っているのも、めまぐるしく変わる電光掲示板がまるで昼間のように明るく通りを照らしているのも綺麗でした。ワシントンDCとニューヨークのまるで違う雰囲気は、この2枚からよくわかると思います。私にはワシントンDCの方が居心地が良かったです。

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 全体を通しての目標であった、本物のサイズ感を味わうことはできたように思います。わたしはスマホを持っておらず、写真用に持っていったカメラがとても古いものだったので写真を撮る気にならなかったうえ、そのカメラの調子が悪く、画面の色が紫色になってしまうことや、せっかくだから自分の目で見ていたほうがいいと思っていたこともあって、ほとんど写真を撮らずにいました。

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 自由の女神に近づいたとき、カメラ越しに覗いたのですが、自由の女神がひどく遠く、ちっぽけなものに見えました。うえの写真では随分と遠くにあるように思えるかもしれませんが、本当はかなり近かったのです。このように、レポート用や記念用にカメラ越しで実物を見ることのもったいなさを強く感じました。もし、必要ならば写真を撮ることを制限して自分の目で見ることを勧めたほうがいいのではないかと感じることがあったほど、スマートホンを構えている場面が多かったです。

 アメリカ研修旅行から帰ってきて、自分の考え方が変わったと思ったのは、新聞で、日本で働く外国人労働者の受け入れ拡大に関する記事を見た時です。これまでは、どこか他人事のように「少子高齢化で労働人口が減少しているんだからもっと規制を緩くしてたくさんの労働者を受け入れればいいのではないか、こんなにも問題の解決が遅れるのは日本の治安を考えたときに日本の生活に慣れていない外国人が一度に多く加わることが心配なんだろうけど、きちんと技能試験や職業訓練を行えば問題ないはずだし、後継者不足で悩む一次産業には人手が確保できていいことになるんじゃないか」とあまりに一方的に日本に住んでいる人からの視点で考えていました。
 しかし一週間とは言え、私もアメリカの地で「外国人」として過ごしてみると、生活する上で言いようのない不安感がいつも付きまとっていることに気がつきました。研修旅行という形であるし、ガイドの牧瀬さんも先生も現地ガイドさんも仲間もいるはずなのに、それはいつも私の心にありました。なにかあったらどうしよう、失敗したらどうしよう、などでした。たった一週間でもこのように感じるのに、働こうとして日本にやってきて、働けませんと突き返されたときの絶望感を想像すると胸が苦しくなります。頼りのない海外で先行き不透明で過ごすことの怖さが想像できるようになったのです。
 また、私はホテルに着いたらいつもテレビを見るようにしていました。ワシントンDCにいた前半は、テレビの中の白人さんや黒人さん、明らかに日本人に見えるような人まで全員が英語を話していることに違和感を抱いていました。違う人種の人々が同じ言語を使ってみんな一緒に生活していることが想像していたよりも衝撃的だったのです。それはテレビの中だけでなく、美術館へ行っても、博物館に行ってもそうでした。しだいに日本人しか居ない日本は頭が固いんじゃないかなと思うようになりました。日本人はシャイだとよくいいますし、その気持ちもよくわかりますが、受け入れるイメージができておらず、人種が違う=話が通じないというイメージがあるからなのかもしれません。人種が違う、ではなく、同じ人間なのだからと考えることができるようになれば、その頭も少しは柔らかくなる気がしました。世界の人口が私のカタコトの英語でも身振り手振りで通じましたし、日本語が話せる方にもお会いしました。外見にとらわれずに、たくさんの人種の人々が暮らしているアメリカは、もしかすると日本よりもずっと、平等なのかもしれません。


 今後このような研修旅行に参加しようと思っている生徒には、積極的になり続けなければいけないと伝えたいです。1年生にとっても、2年生にとっても、1週間という期間の旅行にいく機会はそうそうないですし、心を躍らせて説明を聴きに行った人も多いと思います。私にとって、まず積極的の第一歩が「ひとりで説明会に参加する」ことでした。これは周りに流されたわけではなく、自分の意志で選んだことだとはっきり証明したかったからです。もちろん不安もありましたし、できることなら仲のいい子と一緒が良かったとおもったこどもありました。しかしそれを振り切っていくことが、いかに自分が参加したいと思っているかを自分に対して証明することになると思ったのです。
 しかし、応募のための作文を書き終えたとき、そこで私の「積極的」は終わってしまったように、いまでは思います。ここまでやりきったのだからいいだろうと、始まる前から手を抜いてしまっていたのです。当然、その時のわたしは気づいてなんていませんでしたが、事前学習にしろ、個人の準備にしろ、万全を期したとは言えない出来になってしまっていたのでした。そんな状態で臨んだら、すぐに不具合は露呈します。
 もっと予習していれば良かったと思ったのは、ワシントンDCで美術館見学をはじめてすぐのことでした。その気持ちは旅の最中ずっとあったままで、帰ってきた今となっては重い後悔として居座り続けています。他にも、あれほど期待していた英語での会話のほとんどが買い物時のものだけだったことも、自分が「積極的」でなくなってしまったことの現れだったと思います。最初の頃は期待と緊張でどきどきして、昼食の注文もメニューを指さす形になっていたことはわかります。
 しかし、旅の後半になっても、その「ごはんを買う」ため以外の会話がないのは、自分の現状に慣れてしまって、そこから次へ進もうとしなかったからです。なんてもったいないことをしたのだとこちらも激しく後悔しています。「積極的」は、一瞬なって満足するものではなく、常にそうあろうと努力しなければならないとこの大きな後悔をもって学びました。
 また、私には食物アレルギーがあります。研修旅行に臨むのにあたって、薬を用意したり、仲間に自分が食べられないものを説明したりと入念に準備をしましたが、やはり不安ではありました。しかし、仲間の協力と自分なりの工夫(私は食べられないものを英語で書いた紙をご飯を注文するときに渡すようにしていました)で特に大きなトラブルもなく終えることができました。食物アレルギーがあると、日本においてでもかなり警戒して外食しなければいけませんし、海外ではなお一層警戒することになるかもしれませんが、それが理由でこのような海外旅行を諦めなくてよいんだと分かりました。もし、私のようにアレルギーがあって大変だから、と思っている生徒がいるのならば、しっかり対処して、みんなで協力すれば大丈夫だと伝えたいです。
 
 一週間の研修旅行はほんとうにあっという間でした。たくさんの美術館、博物館を回りましたが、充分見て回れて満足、と思える場所はひとつもありません。どれもまだ見ていたかったのですが、時間だからと切り上げることになってしまったのです。そんな時に、出発式の財団理事長の「扉の中を覗くに過ぎない」という言葉を思い出しました。確かにそうでした。そして私は、今回扉の中を覗いたことによって、もう一度来てやるという熱意を抱くようになりました。自分の中の世界の規模が大きくなっただけでなく、たどり着くことができるんだという実感と実物を見たことで増幅された興味から、世界をより近く感じることができるようになりました。
 何をしても、どんな分野でも無駄なことはなくて、広げていけば世界につながっているのだと思いました。3年生直前の春休みが大切だから、と参加を諦めなくて本当に良かったです。今回の研修旅行で経験したことは一生私の力となると思います。このような機会を設けてくださった財団の方々、研修をサポートしてくれた方々、準備に協力してくれた家族やアレルギー関連のことで沢山助けたくれた仲間にとても感謝しています。ありがとうございました。このように素晴らしい経験をする瑞陵生がこれからも大勢いることを祈っています。