ITF2014報告集04

  設立一周年記念海外学習のレポート ITF2014 2年A.Mさん 

参加者から提出された報告レポートをWeb用に編集しました。皆さんのレポートは下記の略名をクリックして頂くとご覧いただけます。
1年I.Tさん  1年M.Yさん  1年T.Mさん  2年A.Mさん  2年K.Iさん  2年K.Mさん   Homeへ
2年O.Tさん  2年S.Kさん  2年S.Tさん  2年T.Mさん  2年W.Aさん  2年Y.Rさん
3年K.Aさん  3年K.Nさん  3年Y.Aさん  2年Y.Jさん  日程別レポート

 研修旅行参加の目的

記憶としてはかなり幼い頃から、イタリアに憧れて、兼ねてより行ってみたいと考えていたので、この企画を聞き、迷いなく確固たる意志と共にこの企画に応募することを決意しました。
詳細に言うと、一つはポンペイ遺跡でした。幼い頃愛読していた教育雑誌に載っていたポンペイに関する記事に自分でもあまり理由もわからないまま魅せられた記憶は鮮明に残っています。今思うと、他にやれ生贄の儀式だ、やれミイラだ不老不死だと、妙に私は人の生死に関することにひどく興味を抱いているので、ポンペイ遺跡にあるという死人の型をとった石膏像を見て、人々の死の間際の感情を実際に見て、感じたいと思ったことから、この企画に参加したいと思いました。
他に、昔からよく様々な美術品の展覧会に行っていたのですが、幼いままの未熟な感性では感じ取れなかったことも、今なら何か気付くことができるかもしれないと、数多くの美術館を巡ることにとても興味を抱きました。
それと最近は引きこもりがちなので、思い切って遠い遠い異国の地に赴き、他国の日本との文化の違いを学んだり、日本語の通じない人たちと交流すれば、日本で他人にひどく気後れしないようになるかもしれないと考えたことからでもありました。

上記の目的達成のために、何を見学して体験したか

死体をかたどった石膏像

*ポンペイ遺跡
ヴェスヴィオ火山噴火後残った建物跡、それに関する発掘物、死体を象った石膏像
*ルーブル美術館
モナ・リザ等

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会

*サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
最後の晩餐
*「オルセー美術館
様々な彫刻や絵画、有名なものとしてはゴッホ
*フランス戦争博物館
ナポレオンの墓
戦争に関する絵画、兵服、武器、資料映像

何を感じ、何を学んだか

まずイタリア、ひいてはヨーロッパの文化と日本のものとの違いについてですが、やはり日本とは大きく違うところばかりです。
食べ物はアメリカほどではないにしろ量が多い。重い。胃腸薬が手放せませんでした。そんな高カロリーな食文化の影響なのか、地元の人はなんだかナイスバディというか、全体的に大きい人が多かったです。ちょっとくらい豊満でないとモテないのかもしれません。
ホテルやレストランではサービス料としてチップを払わなければいけなくて、その他細かいサービスはなく、日本のような無償の愛精神が、はっきりとは見られませんでした。余程有事の際でないかぎり、他人を容易に信じることができないからかと勝手に推測しました。ただその習慣に慣れていない所為で何回かチップを置き忘れたのはちょっと申し訳なかったです。自分の海外に対する、というか別環境、習慣に対する対応能力の低さが浮き彫りになりました。反省。
次に海外の経済状況、雇用状況ですが、数年前のギリシャの件が関係あるのかないのか、イタリアは歴史的建造物の観光地の近くには水やお土産などといった売り子がかなりいて、そこには最初戸惑いました。黒人が多く、話で聞く限りでは一攫千金狙ってヨーロッパに来る人も多いそうで。でも売り物の中には日本で一昔前にはやった玩具だけ売る人もかなり目につき、本当に売れているのかと不思議でした。そして気候の変化が特に激しいヨーロッパでは、突然のゲリラ豪雨でも素早く売り物を傘にチェンジ。たくましいと商売根性を根強く感じました。   悪い人ではない…と思います。
それよりもホームレスや身体障害者(?)、貧しい老人などの乞食が気になりました。とにかく人の多いところに出没するようで、地下鉄の列車に居る時まで現れました。あの老人を憐れむべきか忌むべきか、日本では遭遇してこなかった異様な出来事に、ただただ戸惑い、そしてほんの少しの嫌悪を抱きました。それが経済情勢の責任なのか個人の責任なのか、甚だ疑問でありますが、その答えなど出るはずもないので、ただどこかのアニメのシーンで見た悪人のようなニヒルな笑みは、かなり鮮明に脳裏に焼き付いています。この感情は、正か誤か、私にはわかりませんでした。
治安の悪さでも、旅行中、頭の片隅どころか、かなりの長時間警戒していたと思います。無論用心に越したことはないですが、ジプシーの集団と目があっただけでファッキューサインには驚きました。多分家庭環境の影響が大きいのかなぁと思いました。なんだか不良にも国民性の違いがあるように少しだけ感じます。
公衆衛生もほめられたものではなく、街のあちらこちらにごみが散乱していたり生ごみがぶちまけられていたり、普通の通りなのに、まるで学校の古いトイレのようなにおいのするところもあり、現地の人は慣れてるかもしれませんが、どうにも気にしてしまいがちでした。
ポンペイ遺跡では、数多くの建物跡を見ることができましたが、肝心の、子を抱きかかえていき途絶えた人物の石膏像が見れなくて、あの時はとてつもなく落胆しました。スケジュールの都合上や、興味がない人にとっては苦痛なだけなのでいたしかたのないことでした。かろうじて近辺にあった像の2つを見れて、とにかくよかったです。その像は、口を茫然と開けている姿が印象的でした。それが驚愕か絶望、恐怖か、真意はわかりませんが、手の位置や口の開け方から、もしかすると、噴火の際の火砕流の超高温の爆風によって肺をやけどし、呼吸困難で苦しみに喘ぎながら息絶えたのかと思いました。突然のことで何もわからず、ただ苦しいまま、もがき続けてたと思うと、少しだけ此方もぞっとしました。ポンペイの文化はとても高度らしく、日本人がまだわら小屋を作っている頃ポンペイ人が、容易にガラスを製造できていたことには驚愕しました。そのほか医療器具や調理道具も、とても近代的でとても信じられません。ただ、その高度な文化のためには火山が不可欠だったわけで、しかし文明はその火山によって滅んで。自然とは、絶対的な人間の見方であることは絶対にない。かくもこうあるものなんだと再認識しました。
全体として、数多くの美術館を周りましたが、イタリアはどうにも宗教画ばかりで、フランスに来た時の絵の近代さや、多ジャンルな作品にはやや感動を覚えました。代わり映えのないキリストやマリア像ばかりで、半分飽き飽きしてたのかと思います。
本来自分の最もいきたいところはイタリアにありましたが、フランスの方が近代的で個性があって、美術品は楽しめました。
数多くの美術品を見るうちに、私に好きな絵の傾向があることに気付きました。今まで何も感じることなく流し見るばかりでしたが、自分にも好みがあるのか、と新発見しました。陰鬱な空気の中ぼんやりと幻想的に浮かび上がる緑、青色。平面なのに躍動感あふれる表情や筋肉、何もない広大な草原に沈む夕陽と一匹の動物の、ひしひし迫りくる広大な景色への感動と孤独の寂しさに躍動を覚える胸。そういったものなどに吸い込まれるような感覚を覚えました。しばらくこの粋狂な感覚に浸りたかったのですが、時間は少ないのでじっくり見ることは難しかったのが残念です。
反対に、ピカソだとか、ダ・ヴィンチといった、あまりにも有名なものには不思議と面白味は感じられなかったのは自分にとっては案外周知でした。やはりこれは私の好みの問題のようです。
ただ有名なサモトラケのニケやヴィーナス像、ダビデ像は確かに凄みを覚えました。女の人というものの腕はもしかすると存外邪魔なものなのかもしれません。腕が無いことによる均衡のとれた肉体美。ほぼ全裸であるにも関わらずエロティックさを感じさせず、ただただ美しいと思わせるような彫刻には感嘆するばかりでした。案外自分が女だからということもあるかもしれませんが。
ダビデ像は、教科書では見えない後ろからの姿には新鮮味を感じました。尻だけ見て何を思ってるのかとやや不安になる部分もありましたが、後姿からの筋肉もとてもしっかりしたものでした。男の像ばかり掘ってるのだけはいただけないと思いました。
この研修旅行で一番大きな経験は、意外にも旅行前行くと思っていなかったフランスの戦争博物館でした。その時は興味本位でついていきましたが、とてつもないインパクトがありました。自由行動ということもあり、一人気ままにゆっくり自分のペースで回ることができて、とても実になる時間でした。戦争に関しては、今年修学旅行で原爆ドームと記念館に訪れたので記憶に新しく、また、敗戦国の日本からではなく、戦争に勝利した側というのが一番のポイントでした。
戦争をリアルに描いた絵にはちまみれの数々の兵士。娘から貰ったのか、少しほつれた小さな熊のぬいぐるみ。書いてあることはさっぱりでしたが、展示物と映像だけで十分なものでした。
映像では、女子供が穴を掘っていました。なんのためか確定的にはわかりませんが、戦争のためのものなことは確かです。映像では、たくさんの戦車や飛行機が飛び交い、頑強なはずの戦車は爆撃によってあっさり壊滅しました。勿論中には人が。映像では、壕を互いに掘って銃撃戦を繰り広げていました。この中で、どこかの国と国が、一日だけクリスマスの日に仲良くサッカーをしたり談笑したという話を聞いたことがあります。本心、彼らは、憎み合ってなどないはずなのです。それでも次の日、彼らは殺し合いました。それは、上の人間の圧力のためでした。
日本で見た戦争のことは、あの時は原爆はむごいものという、かなり大きな衝撃を私に与えましたが、しかし、反対側の、他国からの立場で見て、日本のときとはまた違った、しかしそれよりも大きい衝撃でした。
戦争に勝利したから、人々は笑っていました。幸せそうに、笑っていました。戦争の勝利に貢献した軍人たちを、人々は歓迎していました。とある小さな可愛らしい幼女が、軍人に、あどけなく笑って花をあげていました。
瞬間、とてつもない嫌悪感を感じました。
どうして喜んでいるのかと。何故人を殺して、殺して、殺した、疎まれるべき殺人鬼のはずなのに。
そこに正義などという大義名分は感じられませんでした。ただ国が違うというだけで、まるで種族が違うように扱い、あまつは卑下する。それが、戦争というものらしいのでした。
違った立場から見ることで、私は新たな戦争の面に気付きました。戦争は、悲しいからいけない、だけではないことを、日本でも教えてほしいものだとおもいました。

この経験を、今後どのように生かしていくか

自分に絵の好みがあることがわかり、各地で催される展覧会や美術館に、暇さえあればまた挑戦してみようかと思いました。ジャンル様々な美術品を見ることで、様々なことを感じ、自分の感性が磨かれたように感じます。特に肉体美。日本の絵画と違って、妖艶なものが多く、ちょっと惹きつけられてしまいました。
さらに、日本とはまるで次元の違う世界の中にいたことで、日本で誰かと接することがとてもありがたく感じました。レジの時に戸惑うこともないし、これから緊張してしまったときも、海外のあの時に比べれば、と思えば、勇気も幾分でるような気がします。

一般財団法人瑞陵高校助成基金や、他の生徒に向けて伝えたいこと

あまり世の人に知られているとは感じ得ませんが、とても素晴らしくありがたい企画です。この企画は校外の人たち、特に市外の中学生の方々に広く知っていただきたいです。この研修旅行を通すと、ただ日本にいるだけではわからない、感じることができないことを数多く知ることができます。広い目で見れば、この広い世界のほんのちっぽけな一部分かもしれませんが、このたった1,2か国を見ただけで、とても私の世界は果てしなく広がりました。
帰ってきてから様々な人に「どうだった」と聞かれますが、経験してきた内容が多く、何から何を話せばいいか分からず、答えるのは中々難しいです。私が伝えることはほんの一部だけですが、海外の魅力を精一杯伝えられたらと思います。そして、この研修旅行の企画に意欲的に参加する人が、もっと多くなれば、私としても嬉しい事です。
きっとこの経験を通して、自分も他人も知らない、新たな自分を見ることができるかもしれません。そしてその経験は、いつかきっと自らの矛となりえます。皆さんも是非、瑞陵高校助成基金の企画を活用なさってはいかがでしょうか。